胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第12章 幻花(げんか)
穏やかに降っていた雪は荒れ狂う吹雪となり、桜の花が毒々しいほどの緋色に変わっていた。まるで死人の血を思わせるような凶々(まがまが)しいほどの紅。この花の色を、いつだったか泉水は眼にしたことがある。
そう、あれは祐次郎と共に見た椿の色、祐次郎が死んだ日の朝に見た花の色、遠い日、幼い頃の記憶。
刹那、泉水は息を呑んだ。不吉なほど艶やかに咲き誇る緋桜の下にひそやかに立つ人は、女(おみな)ではなく、夜叉の面をつけていた。ギョロリとした眼(まなこ)を大きく見開き、カッと口を開き、牙を剥き出しにした般若は、人の憤怒の形相を表現しているという。大人しやかで、たおやかな女性を表した女(おみな)の変化(へんげ)したもの、その怒りの表情が般若である。
泉水は声にならない声で悲鳴を上げた。
あなたは一体、何をそんなに怒っているの? あなたをそれほどまでに怒らせるような、どんな哀しいことがあったというの?
泉水は心の中で問いかけてみる。しかし、その人から応(いら)えはない。
そこで、泉水の意識は途切れた。身体が重くて、まるで大きな岩を抱えているようだ。何かにのしかかられているような感覚があり、泉水は息苦しさにもがき、喘いだ。
ふと眼を見開き、身体中の膚が粟立った。男が、のしかかっている。
が、自分に覆い被さっているのが、けして良人ではないことは判った。触れられている手の感触や身体つきが微妙に違う。夜毎、褥を共にする良人の体躯を、手を忘れるはずがない。
「誰なの?」
語気も鋭く誰何すると、薄い闇を這う不気味な笑い声が聞こえた。
「お迎えに参りました」
その刹那、障子から細く差し込む月光が男の貌を照らし出した。
「あなたは―」
泉水は愕きのあまり、声さえ上げることができなかった。月の頼りなげな光にほの白く浮かび上がったそれは、般若の顔そのものであったのだ!
それは、まさに泉水が先刻、夢の中で見た夜叉の面に相違ない。
一瞬、泉水は、あのひとときの夢が現のことであったのかと錯覚しそうになったほどであった。
そう、あれは祐次郎と共に見た椿の色、祐次郎が死んだ日の朝に見た花の色、遠い日、幼い頃の記憶。
刹那、泉水は息を呑んだ。不吉なほど艶やかに咲き誇る緋桜の下にひそやかに立つ人は、女(おみな)ではなく、夜叉の面をつけていた。ギョロリとした眼(まなこ)を大きく見開き、カッと口を開き、牙を剥き出しにした般若は、人の憤怒の形相を表現しているという。大人しやかで、たおやかな女性を表した女(おみな)の変化(へんげ)したもの、その怒りの表情が般若である。
泉水は声にならない声で悲鳴を上げた。
あなたは一体、何をそんなに怒っているの? あなたをそれほどまでに怒らせるような、どんな哀しいことがあったというの?
泉水は心の中で問いかけてみる。しかし、その人から応(いら)えはない。
そこで、泉水の意識は途切れた。身体が重くて、まるで大きな岩を抱えているようだ。何かにのしかかられているような感覚があり、泉水は息苦しさにもがき、喘いだ。
ふと眼を見開き、身体中の膚が粟立った。男が、のしかかっている。
が、自分に覆い被さっているのが、けして良人ではないことは判った。触れられている手の感触や身体つきが微妙に違う。夜毎、褥を共にする良人の体躯を、手を忘れるはずがない。
「誰なの?」
語気も鋭く誰何すると、薄い闇を這う不気味な笑い声が聞こえた。
「お迎えに参りました」
その刹那、障子から細く差し込む月光が男の貌を照らし出した。
「あなたは―」
泉水は愕きのあまり、声さえ上げることができなかった。月の頼りなげな光にほの白く浮かび上がったそれは、般若の顔そのものであったのだ!
それは、まさに泉水が先刻、夢の中で見た夜叉の面に相違ない。
一瞬、泉水は、あのひとときの夢が現のことであったのかと錯覚しそうになったほどであった。