胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第12章 幻花(げんか)
ただ一つ違うのは、夢の中のその人が白の着流し姿であったのに対し、泉水にのしかかる男は、周囲を取り巻く一面の闇を身に纏ったような黒の僧衣を着ていることだ。
「私と一緒に来て下さい」
般若が耳許で囁いた。人を幻惑するこの深い声といい、墨染めの衣といい、この面をつけているのが徳円であることは疑いようもない。
否、と言えるはずもなかった。何しろ、短剣を喉許にピタリと突きつけられているのだ。押し当てられた刃が月明かりに冷たい光を放っている。
「何故、こんなことをするのですか?」
泉水は問いかけずにはおれない。
般若はまた、くっくっと喉の奥で笑った。
「こんなことをして、何の意味があるというのでしょう?」
たとえ、この男が祐次郎であったとしても、なかったとしても、何ゆえ、ある日突然、泉水の前に現れて思わせぶりなことを口走り、泉水を惑乱させるような真似を続けるのか。
その真の理由を知りたい。
だが、般若は相も変わらず低い笑い声を立てているばかりだ。ひとしきり癇に障る笑い声を上げた後、般若が言った。
「人を呼ぼうとしても、無駄ですよ。律儀な乳母どのを初め、お付きの二人の女どもは皆、眠らせていますから」
今までとはまるで別人のような凄みのある声に、氷を背筋に当てられたような恐怖を感じた。
「時橋たちを殺したの?」
鋭く問うと、般若は笑った。
「まさか。殺しはしません。私はそれほど野蛮ではありませんし、血を見るのも嫌いです」
泉水の喉許に刃を押し当てたまま平然と言う。
「それにしては、やることが野蛮で過激すぎると思うけど?」
持ち前の勝ち気さが頭をもたげ、こんな状況でありながらも言い返す。
般若が笑った。
「なるほど、やはり度胸のある方だ。それに、面白い。心配は無用です、乳母どのも腰元たちも気絶させただけです。一刻ほど後には眼を覚ましましょう」
般若は泉水の喉にあてがった刃をス、と引いた。
「何なら、大声を出して助けを呼びますか?」
挑むような口調だ。
「私と一緒に来て下さい」
般若が耳許で囁いた。人を幻惑するこの深い声といい、墨染めの衣といい、この面をつけているのが徳円であることは疑いようもない。
否、と言えるはずもなかった。何しろ、短剣を喉許にピタリと突きつけられているのだ。押し当てられた刃が月明かりに冷たい光を放っている。
「何故、こんなことをするのですか?」
泉水は問いかけずにはおれない。
般若はまた、くっくっと喉の奥で笑った。
「こんなことをして、何の意味があるというのでしょう?」
たとえ、この男が祐次郎であったとしても、なかったとしても、何ゆえ、ある日突然、泉水の前に現れて思わせぶりなことを口走り、泉水を惑乱させるような真似を続けるのか。
その真の理由を知りたい。
だが、般若は相も変わらず低い笑い声を立てているばかりだ。ひとしきり癇に障る笑い声を上げた後、般若が言った。
「人を呼ぼうとしても、無駄ですよ。律儀な乳母どのを初め、お付きの二人の女どもは皆、眠らせていますから」
今までとはまるで別人のような凄みのある声に、氷を背筋に当てられたような恐怖を感じた。
「時橋たちを殺したの?」
鋭く問うと、般若は笑った。
「まさか。殺しはしません。私はそれほど野蛮ではありませんし、血を見るのも嫌いです」
泉水の喉許に刃を押し当てたまま平然と言う。
「それにしては、やることが野蛮で過激すぎると思うけど?」
持ち前の勝ち気さが頭をもたげ、こんな状況でありながらも言い返す。
般若が笑った。
「なるほど、やはり度胸のある方だ。それに、面白い。心配は無用です、乳母どのも腰元たちも気絶させただけです。一刻ほど後には眼を覚ましましょう」
般若は泉水の喉にあてがった刃をス、と引いた。
「何なら、大声を出して助けを呼びますか?」
挑むような口調だ。