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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第12章 幻花(げんか)

 泉水は首を振った。
「いいえ、あなたが来いと言うのなら、私はどこへなりと参ります。あなたが本当は誰なのか、知りたいの」
「ホウ、何とも無謀な姫だ。私があなたに危害を加えないと、どうして言えるのです? もしかしたら、一緒に来たことを後悔することになるかもしれませんよ?」
 刃物まで持ち出して脅して、自分から〝ついて来い〟と言いながらの、この科白である。
 泉水は、この男の、徳円の思惑が皆目判らない。
 だからこそ、この男に付いていってみようと思ったのだ。
「あなたを信じているというわけではないけれど、あなたは多分、私に危害を加えたりはしない」
 思ったことを有り体に言うと、男はまた、くっくっと喉を鳴らした。
「さあ、どうでしょうか? そのお人好しぶりが生命取りにならねば良いですね」
 他人事のように淡々と言うと、有無を言わさぬほどの力で泉水の手を引いた。
 そのことが、どんなことがあってもお前を連れてゆく―、男のそんな胸の想いを何より正直に物語っていた。

 泉水は溜息をついて、周囲をぐるりと見回した。榊原の屋敷を連れ出されてから、すぐに目隠しをされたため、自分がどこをどう通って、ここに―今、閉じ込められている場所に連れてこられたのかは判らない。
 般若の動きは終始、鮮やかであった。榊原の屋敷から何の苦もなく、人の眼に止まって騒がれることもなく脱出してのけたのだ。高い塀を忍びであるかのように身軽に易々と飛び越えた。
 むろん、泉水だって、だてに〝お転婆姫〟と呼ばれていたわけではなく、並の若い女なら泣き出してしまうような状況の中、楽々と塀を乗り越えた。屋敷を出る間際、般若に頼んで小袖と袴―いつものお忍びの姿だ―に着替えたゆえ、余計に動き易い。
 ここに閉じ込められてからは、目隠しは外して貰えた。見たところ、小さなお堂の中のようだとも思うけれど、随明寺の絵馬堂ではない。絵馬堂よりはひと回りは大きくて、中央に小さな須彌壇(しゆみだん)がしつらえてあり、更に中央には小ぶりな阿弥陀像が安置されている。

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