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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第12章 幻花(げんか)

 内装からいえば、阿弥陀堂といったところだろう。むろん、一つしかない正面の扉は外から固く施錠されていて、押しても引いても、体当たりしても、ビクともしない。
 ただ、正方形の建物の丁度、左横に当たる壁には、小さな明かり取りの窓がある。連子をはめ込んでおり、連子窓(一定の間隔に細い材を取りつけた格子窓)のような仕組みになっているが、試しに動かそうとしてみても、こちらも当然ながら微動だにしなかった。
 それでも、諦めずに四方の壁を軽く叩いて、ぐるりと一巡してみたり、キョロキョロと天井の様子を窺ってみたりもした。何もせずに諦めてしまう―というのは、泉水の好むところではない。どんな些細なことでも良い、何かきっかけを掴みさえすれば、もつれた糸が自然にほどけてゆくように意外にあっさりと解決するものだ。
 この御堂らしき建物に閉じ込められてから、はや丸一日近くが経つ。その間、徳円は一度だけ姿を見せ、数個の握り飯と竹筒に入った水を置いていった。最初は意地でも食べてやるものかと思っていたけれど、いざ逃げ出すときに空腹では動けない。そう思い直して、ここは大人しく差し出された握り飯を平らげた。
 時間だけが空しく過ぎてゆく。流石に気丈な泉水も焦りを隠せない。今頃、また、榊原の屋敷は大騒ぎになっているに違いない。
 もう二度と泰雅や時橋を心配させたくない。去年の夏の終わり、荷車に轢かれ一時的に記憶喪失になっていた泉水は、誠吉という若い飾り職人の許に身を寄せていた。行方不明になった泉水を、二人とも夜も眠れぬほど案じたという。あんな想いを大切な二人にさせたくはなかった。
 しかし、目下のところ、泉水から外部に接触する手段はすべて断たれており、無事を知らせようにもそのすべがない。
 泉水は吐息を吐き、ぼんやりと視線をさまよわせた。中央の阿弥陀像は黄金で彩色されており、さほどに大きくはないが、柔和な良い表情をしている。泉水は格別信心深い方ではないけれど、こうやって静かな空間で穏やかな仏の顔を見ていると、心が幾ばくかは落ち着くような気がする。改めて、仏が悩める衆生を救い給うのだという仏教の教えにも少しは共感できるように思えた。

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