胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第12章 幻花(げんか)
怒りの表情を刻み込んだ奇怪な面がほの暗い闇の中に浮かび上がっている。だが、その怒りに燃える烈しい面が一瞬、泣き顔のように歪んで見えたのは、泉水の気のせいであったろうか。
「待っていたのに、来て下さいませんでしたね。絵馬堂の前でお逢いしてからというもの、私はずっとあなたをお待ちしていたというのに、薄情な方だ。それとも、死んでから七年も過ぎ去ってしまえば、私は完全にあなたにとっては過去の亡霊にすぎないのでしょうか? 新しい伴侶を得て、今をときめく榊原さまのご正室として、殿さまのご寵愛を一身にお受けする身には」
聞き憶えのある、澄んだ美しい声だった。
男が面をおもむろに取った。その下から現れたのは―、やはり予想したとおり、僧徳円であった。それよりも泉水を驚愕させたのは徳円の言葉そのものであった。
今、この男は何と言った?
―死んでから七年も過ぎ去ってしまえば、私はあなたにとっては過去の亡霊にすぎないのでしょうか?
〝死んでから七年も過ぎ去って―〟、その一部分だけが泉水の中で大きく鳴り響く。
声音が硬くなるのをこらえ、泉水は訊いた。
「あなたは誰なの?」
と、徳円はくっくっと喉の奥で笑った。
「同じ問いを確か、昨日にもなさいましたね。ですが、そのようなことに何の意味があるというのでしょう? 生まれながらに自分の存在を抹殺された人間の気持ちがあなたに判るのですか?」
思いもかけぬ言葉に、泉水が眼を見開く。
「昔語りをするとしましょう。昔のことです、さる武家に二人の男児が誕生しました。そう、二人はほぼ同時にこの世に生を受けたのです。双子でした。いにしえから双子は忌み嫌われるものですが、その家は殊に迷信深く禁忌とされていました。双子が万が一にも生まれた場合、必ずやどちらか一方を亡き者とし、残る一人だけを育てるようにという言い伝えがあったのです。言い伝えに従い、後に生まれた弟の方がひそかに始末され、闇に葬られました。その代わりに、先に生まれた兄はその家の子として大切に育てられることになったのです」
「そんな―」
泉水は唇を噛みしめた。
たとえ先祖伝来の家訓とはいえ、たかが迷信一つで生まれたばかりのいとけなき赤児の生命を奪うなど、そのようなことがあって良いはずがない。
「待っていたのに、来て下さいませんでしたね。絵馬堂の前でお逢いしてからというもの、私はずっとあなたをお待ちしていたというのに、薄情な方だ。それとも、死んでから七年も過ぎ去ってしまえば、私は完全にあなたにとっては過去の亡霊にすぎないのでしょうか? 新しい伴侶を得て、今をときめく榊原さまのご正室として、殿さまのご寵愛を一身にお受けする身には」
聞き憶えのある、澄んだ美しい声だった。
男が面をおもむろに取った。その下から現れたのは―、やはり予想したとおり、僧徳円であった。それよりも泉水を驚愕させたのは徳円の言葉そのものであった。
今、この男は何と言った?
―死んでから七年も過ぎ去ってしまえば、私はあなたにとっては過去の亡霊にすぎないのでしょうか?
〝死んでから七年も過ぎ去って―〟、その一部分だけが泉水の中で大きく鳴り響く。
声音が硬くなるのをこらえ、泉水は訊いた。
「あなたは誰なの?」
と、徳円はくっくっと喉の奥で笑った。
「同じ問いを確か、昨日にもなさいましたね。ですが、そのようなことに何の意味があるというのでしょう? 生まれながらに自分の存在を抹殺された人間の気持ちがあなたに判るのですか?」
思いもかけぬ言葉に、泉水が眼を見開く。
「昔語りをするとしましょう。昔のことです、さる武家に二人の男児が誕生しました。そう、二人はほぼ同時にこの世に生を受けたのです。双子でした。いにしえから双子は忌み嫌われるものですが、その家は殊に迷信深く禁忌とされていました。双子が万が一にも生まれた場合、必ずやどちらか一方を亡き者とし、残る一人だけを育てるようにという言い伝えがあったのです。言い伝えに従い、後に生まれた弟の方がひそかに始末され、闇に葬られました。その代わりに、先に生まれた兄はその家の子として大切に育てられることになったのです」
「そんな―」
泉水は唇を噛みしめた。
たとえ先祖伝来の家訓とはいえ、たかが迷信一つで生まれたばかりのいとけなき赤児の生命を奪うなど、そのようなことがあって良いはずがない。