
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第12章 幻花(げんか)
ちなみに、僧徳円のその後の消息は依然として不明のままであった。泰雅がひそかに調べさせたところ、確かに随明寺の住持浄円の弟子の一人に徳円という若い僧がおり、年恰好も泉水の話していた男と似ていた。
浄円和尚の話によれば、徳円は六年前に寺の境内で行き倒れているところを修行僧の一人に助けられたのだという。よくよく身の上話を聞けば、身寄りもなく天涯孤独ということもあり、浄円は、剃髪して我が弟子となることを勧めた。
十五歳で出家し仏門に入り、真面目に修行に打ち込み、師である浄円を初め、兄弟子(あにでし)たちからも可愛がられていた。
不遇な生い立ちらしかったが、当人が詳しくは話したがらなかったため、浄円も敢えて深く詮索はしなかった。
出家し僧籍に入るということは、俗世、つまり、この世のしがらみや大切な人との縁(えにし)をすべて絶つということでもある。今更、徳円の生い立ちを詮索したところで、何の意味もないと考えたのだ。
それがある日、突如として、かき消すように寺から姿を消してしまったのである。浄円もゆく末に期待をかけていた愛弟子の失踪にはいたく落胆していた。
ただ一つ、気になったのは、徳円が人気のない大池のほとりで、夜半にしばしば武芸の鍛錬をしているのを目撃した僧がいるということである。ひっそりと皆が寝静まった夜更け、徳円は何を思い、ただ一人で木刀を一心に振っていたのであろうか。
そのときの彼の心の底に、復讐の一念がなかったとはいえまい。それは、武門の家に生まれながら、生まれ落ちたその瞬間から亡き者とされ、己れの生まれた世界で生きることの叶わなかった彼ならではの口惜しさ、恨めしさでもあったろう。
その場を見た仲間の僧は、このことを師僧である浄円には告げなかった。師が知れば、徳円が叱責されることは判っていたから、庇ったのだ。徳円失踪後、この僧は初めて浄円にそれを告げた。
その後、徳円の姿を江戸で見かけた者は誰もいない。
だが、泉水だけは信じていた。
徳円が今度こそ、憎しみも恨みも捨て、陽の光の下を歩いているのだと。生まれ変わった徳円が兄祐次郎の分まで、きっとこの世のどこかで、己れの人生を生きているのだと。
(明日から第5話へ)
浄円和尚の話によれば、徳円は六年前に寺の境内で行き倒れているところを修行僧の一人に助けられたのだという。よくよく身の上話を聞けば、身寄りもなく天涯孤独ということもあり、浄円は、剃髪して我が弟子となることを勧めた。
十五歳で出家し仏門に入り、真面目に修行に打ち込み、師である浄円を初め、兄弟子(あにでし)たちからも可愛がられていた。
不遇な生い立ちらしかったが、当人が詳しくは話したがらなかったため、浄円も敢えて深く詮索はしなかった。
出家し僧籍に入るということは、俗世、つまり、この世のしがらみや大切な人との縁(えにし)をすべて絶つということでもある。今更、徳円の生い立ちを詮索したところで、何の意味もないと考えたのだ。
それがある日、突如として、かき消すように寺から姿を消してしまったのである。浄円もゆく末に期待をかけていた愛弟子の失踪にはいたく落胆していた。
ただ一つ、気になったのは、徳円が人気のない大池のほとりで、夜半にしばしば武芸の鍛錬をしているのを目撃した僧がいるということである。ひっそりと皆が寝静まった夜更け、徳円は何を思い、ただ一人で木刀を一心に振っていたのであろうか。
そのときの彼の心の底に、復讐の一念がなかったとはいえまい。それは、武門の家に生まれながら、生まれ落ちたその瞬間から亡き者とされ、己れの生まれた世界で生きることの叶わなかった彼ならではの口惜しさ、恨めしさでもあったろう。
その場を見た仲間の僧は、このことを師僧である浄円には告げなかった。師が知れば、徳円が叱責されることは判っていたから、庇ったのだ。徳円失踪後、この僧は初めて浄円にそれを告げた。
その後、徳円の姿を江戸で見かけた者は誰もいない。
だが、泉水だけは信じていた。
徳円が今度こそ、憎しみも恨みも捨て、陽の光の下を歩いているのだと。生まれ変わった徳円が兄祐次郎の分まで、きっとこの世のどこかで、己れの人生を生きているのだと。
(明日から第5話へ)
