胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第13章 夢
《巻の壱―夢―》
子どもが、泣いていた。
果てしない無限の闇の底で泣いている。
何がそんなに哀しいのか、小さな手のひらで顔を覆い、しくしくと泣いている。
年の頃は五、六歳ほど。身なりは質素で、明らかに町人の子どもと思われたが、こざっぱりとした着物を着せられている。
泉水は思わず女の子に問いかけた。
―どうしたの?
だが、女の子は何も応えず、ただ泣き続けるばかりだ。
泉水は見ていられなかった。こんなに小さな子が泣きじゃくるのを放ってはおけない。この子の親は何をしているのだろうか。子どもをこんなに泣かせておいて、可哀想だと感じないのか。
周囲を見回しても、泉水と女の子の他に、人影らしきものは見かけられない。真夜中の闇よりも更に濃い、とろりとした暗闇がひろがっているだけだ。
―ねえ、何がそんなに哀しいのかは判らないけれど、私に話してみて。もしかしたら、少しは力になってあげられるかもしれないから。
優しく言い諭してみても、女の子はいやいやというように首を振る。
泉水は、しゃくり上げる女の子を前に、途方に暮れる。周囲の闇がいっそう濃くなったような気がした、その時。
「泉水、泉水」
耳許で聞き慣れた呼び声が聞こえる。
泉水は眼を見開き、思わずガバと身を起こした。
「泰雅さま―」
泉水はまだ半ば覚めやらぬ意識のまま、良人を見つめた。
「どうした、また、うなされていたぞ? ここのところ、毎夜ではないか」
泰雅は案じ顔であった。それも無理はない。良人の言葉どおり、泉水はここ半月ほどの間、奇妙な夢にうなされる夜が続いている。毎夜、共に眠る泰雅は誰よりもその事実を知っているだけに、余計心配も大きいのだろう。
泉水は五千石取りの直参旗本榊原泰雅の正室で、去年の如月に嫁いできた。泉水の父は勘定奉行槙野源太夫宗俊であり、嫁ぐまで泉水は〝槙野のお転婆姫〟と異名を取るほどのじゃじゃ馬姫として知られていた。
子どもが、泣いていた。
果てしない無限の闇の底で泣いている。
何がそんなに哀しいのか、小さな手のひらで顔を覆い、しくしくと泣いている。
年の頃は五、六歳ほど。身なりは質素で、明らかに町人の子どもと思われたが、こざっぱりとした着物を着せられている。
泉水は思わず女の子に問いかけた。
―どうしたの?
だが、女の子は何も応えず、ただ泣き続けるばかりだ。
泉水は見ていられなかった。こんなに小さな子が泣きじゃくるのを放ってはおけない。この子の親は何をしているのだろうか。子どもをこんなに泣かせておいて、可哀想だと感じないのか。
周囲を見回しても、泉水と女の子の他に、人影らしきものは見かけられない。真夜中の闇よりも更に濃い、とろりとした暗闇がひろがっているだけだ。
―ねえ、何がそんなに哀しいのかは判らないけれど、私に話してみて。もしかしたら、少しは力になってあげられるかもしれないから。
優しく言い諭してみても、女の子はいやいやというように首を振る。
泉水は、しゃくり上げる女の子を前に、途方に暮れる。周囲の闇がいっそう濃くなったような気がした、その時。
「泉水、泉水」
耳許で聞き慣れた呼び声が聞こえる。
泉水は眼を見開き、思わずガバと身を起こした。
「泰雅さま―」
泉水はまだ半ば覚めやらぬ意識のまま、良人を見つめた。
「どうした、また、うなされていたぞ? ここのところ、毎夜ではないか」
泰雅は案じ顔であった。それも無理はない。良人の言葉どおり、泉水はここ半月ほどの間、奇妙な夢にうなされる夜が続いている。毎夜、共に眠る泰雅は誰よりもその事実を知っているだけに、余計心配も大きいのだろう。
泉水は五千石取りの直参旗本榊原泰雅の正室で、去年の如月に嫁いできた。泉水の父は勘定奉行槙野源太夫宗俊であり、嫁ぐまで泉水は〝槙野のお転婆姫〟と異名を取るほどのじゃじゃ馬姫として知られていた。