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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第13章 夢

 一方の泰雅は時の将軍家とも血続きになるという高貴な血筋でありながら、二十五歳になるまで独身であった。というのも、泰雅は無類の女好き、名うての遊び人として通っていたからだ。光源氏の再来と謳われるほどの艶(あで)やかな美男であり、泰雅が微笑みかければ、すべての女が落ちるとまで云われていた。
 泉水は十一の歳に許婚者を亡くしている。以来、泉水と関わり合った男は皆、世を早めるという根も葉もない無責任な噂が流れ、泉水もまた一生涯誰にも嫁がぬとひそかに思い定めていたほどであった。
 ところが、公方さまがこのいわく付きの若い二人を縁組させようと乗り出したことが、二人の馴れ初めとなった。榊原家に嫁した後もなかなか打ち解け合えぬ二人であったが、様々な試練を乗り越え、泰雅は今や泉水に夢中であり、病気とまで囁かれた女遊びもふつりと止めた。
「何か心配事でもあるのか」
 真摯な瞳だった。泉水は小さな息を吐いた。これ以上、泰雅を騙すことはできない。
「妙な夢を見るのです」
「妙な夢?」
 泰雅が眼を見開く。
 泉水は先刻見たばかりの夢の中の光景を思い浮かべた。
「女の子が泣いているのです。辺り一面は真っ暗で、どこまでも闇がひろがっていて、その中にどうしてか私とその子だけが取り残されるように放り出されていて。私が幾ら何故泣くのかと問うても、その子は泣いているばかりで全く応えようとしてはくれませぬ」
「―」
 泰雅は自身も床の上に身を起こし、腕を組んだ。眼を軽く閉じて、思案に耽っているようだ。
 今宵もいつものように泰雅は泉水の寝所を訪れ、二人は共に眠りについた。
 夢を見るのは大抵は真夜中と決まっている。恐らく、泰雅はこの半月もの間、毎夜うなされる泉水に気付いていたに相違ない。だが、泉水の気持ちを思いやって、詮索するのは控えていたのだろう。
 寝所の中は静まり返っており、物の文目さえ定かではない薄い闇がひろがっている。物音一つせぬ部屋の中は、深い海の底を彷彿とさせ、あたかもこの世に泉水と泰雅の二人だけしか存在せぬような錯覚に囚われてしまう。

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