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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第13章 夢

 よくよく考えてみれば、おかしな話だったのだ。時橋は泉水生誕のみぎりから側近く仕え、泉水を育てた乳母である。榊原家に入輿の際も付き従い、今もまめやかに仕えてくれる忠義者だ。五歳で生母を喪った泉水には、母同然の大切な存在でもある。その時橋が泉水のそのような癖を知らぬはずがない。
 なのに、そのときの泉水はあっさりと泰雅に騙され、まんまとしてやられた。
「殿、お願いでござります。どうか、時橋にはそんな話はなさらないで下さいませ」
 それでなくとも、時橋には実家にあるときは〝姫さまらしくない〟、嫁いでからは〝奥方さまらしくない〟と何かにつけ行儀の悪さを叱られてばかりなのだ。もっとも、屋敷の奥深くで琴を弾いたり香をたしなんだりと姫君らしく過ごすよりは、庭で木刀を振り回したり、樹に登ったりする方が好きな泉水のことである。時橋の嘆きはもっともでもあった。
 お小言の途中でいつも逃げ出してはいたものの、時橋が泉水にとって頭の上がらない存在であることに変わりはない。
 この上、良人と共に過ごす夜にいびきや歯ぎしりをしている―なぞと知れば、どのように説教されるか判らない。
 泉水が懇願するように見上げると、泰雅はニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「うむ、だから、言わぬ。そなたの頼みであれば、絶対にこのことは他言せぬ。ならば、泉水は俺のことが好きか?」
「―は?」
 唐突な泰雅の問いに、泉水眼を丸くする。
「泉水は俺を好いているのであろう? ならば、たまには俺に甘えて、好きだとか何とかくらいは申しても良いのではないか? 俺はまだそなたの口からそういった科白を聞いたことがない。一度は是非聞いてみたいものだ」
 きょとんとする泉水に、泰雅は照れたように笑い、小さく肩をすくめて見せた。
「俺がそなたを好きなのは、そういう―、何というか、男に変な風に媚びたりせぬところなのだ。自分を女だと意識せず、女であることに甘えたりせず、真っすぐに俺に向かってくる。そのような潔いところが好ましい。俺がこれまで拘わってきた女どもは皆、端から女であることを武器にするような奴らばかりであったからな。泣けば良い、涙を見せれば、すべてが許されると勘違いをしておった」
 自分を女だと意識せず、女であることに甘えたりせず―、たった今の泰雅の科白は、一体賞められているのか、けなされているのか。

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