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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第13章 夢

 泉水はうつむいたまま、泰雅の言葉に聞き入っている。
「俺とそなたは、夫婦だとは知らずに町中で出逢った。言わば惚れ合うた二人がたまたま良人であり妻であったというだけの話だ。俺たちにとっては、それはこの上なく恵まれた偶然ではあったが、世の中は、すべてがそう上手くゆくとは限らぬ」
「殿―」
 泉水は弾かれたように顔を上げた。泰雅が微笑んで頷く。
 泉水は良人の言わんとしていることが、ほんの少しだけ判りかけてきたような気がした。泰雅は、たとえ、どのような関係にある恋人たちであろうと、その間に芽生えた想いや感情は純粋で美しい―、つまり、側室も正室も所詮は関わりなきことだと言いたいのだろう。
 仮に、もし、泉水が一介の名もない庶民の娘で、泰雅の側室として側に上がったのだとしたら。側室となった泉水が泰雅を愛するようになったとしたら、それは、恥ずべきことで、みっともないことなのか。
 いや、違う、そうではない。泰雅を想う気持ちは、側室、正室の立場など関わりなく、純粋なはずだ。その想いを立場の相違で他人にあれこれ言って欲しくないと思うだろう。 泉水は心の中で考えた。
「人が人を想う気持ちとは本来、尊(たつと)いものだ。男女の間はそのようなきれい事だけはでは済まされぬことも多いが、泉水、俺はそなたを愛するこの気持ちをはしたないなぞと思うたことは一度たりともないぞ。もとより、その反対もしかり。泉水が俺に寄せる想いは、少しもみっともなくはないし、愛し合う男女がこうして共に夜を過ごすのは、ごく自然のことだ。このようなことは言うまいと思うておったが、どうもそなたは幾度膚を合わせても、俺と閨を共にするのがあまり気に進まぬ様子であった。恐らくはその原因は、今のそなたの気持ちから兆していたものであろうな」
「申し訳ございませぬ。私は、私は―」
 泉水の眼に涙が滲んだ。よもや泰雅に気付かれていたとは考えてもいなかった。泉水はどうしても、泰雅の夜伽を務めるのが苦痛でならなかった。泰雅のことは大好きなのに、心から愛しているのに、泰雅を受け容れることに何とはなしに抵抗を感じてしまう。

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