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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第14章 夢を売る男

《巻の弐―夢を売る男―》

 人通りの烈しい往来を泉水はうつむきがちに歩いていた。ここは江戸の外れ、町人町の名の由来は、その名のとおり、あまたの大店が軒を並べてひしめいている活気溢れる商人の町ということからきている。
 今日の泉水は、例のごとく、淡紅色の小袖に、濃紫の袴といういでたちだ。黒髪は高々と一つに結い上げた凛々しい若衆姿である。
 むろん、伴も連れぬ、お忍びでの外出だ。
「夢は要らんかね~、夢は要らんかね~」
 独特の口調で客を呼びながら通りを歩く男の姿に、泉水はふと眼を止めた。
 江戸の夏の風物詩には実に様々なものがある。金魚売りに朝顔売り、西瓜売り、風鈴売りなど、涼を求め暑い夏を少しでも快適に乗り越えようと人々はこぞって買い求める。
 もっとも今はまだ、その夏には決まってお眼にかかる行商人の姿は見当たらない。昼間は夏並みの陽気とはいえ、江戸はまだ皐月に入ったばかりである。
 しかし、夢売りとは、あまりお眼にかからない商いだ。初めて聞く名である。往来を忙しげに行き交う人混みの間を器用にひょいひょいと縫うように歩いてくる。その男の姿を泉水は立ち尽くして見つめていた。
「ちょいと、姉ちゃん、何をボォーとしてるんだよ? こんな往来で腑抜けたように止まられたら、皆の迷惑になるってことが判らないのか」
 後ろから来た人足風の中年の男と肩がぶつかってしまった。男は赤銅色の膚を更に朱に染めて怒鳴り散らしながら、足早に歩き去った。
「済みません」
 呟いたときには、人足の姿は人波に呑まれて、定かではなくなっていた。
「まァ、何て野蛮な男だろうねえ」
 突如として声が降ってきて、泉水は弾かれたように顔を上げた。小柄な泉水からすれば、ゆうに頭一つ分どころか、二つ分も高い、愕くほど長身の男だ。泰雅もけして小柄ではなく、むしろ上背のある方だが、その泰雅よりは、かなり高いのではないか。
 派手な紫と紺の格子縞の着物は、どう見ても男物というよりは女物のようにも見えるが、その派手すぎる着物に男用の細帯を下めに結び、しかも前で遊女のようにだらりと垂らしている。髷は町人髷であったから、町人には間違いなさそうだが、また何とも珍妙な飾り―紫と紺で編んだ組紐で髻を結び―をつけている。

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