
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第14章 夢を売る男
泉水は、夢五郎の手をピシャリと叩いてやった。女に趣味はないと広言する割には、夢五郎というこの男、ずっと泉水の手を馴れ馴れしく握ったままであった。
「おっ、姐さんがあんまり可愛いんで、つい見惚れちまってたみたいだねえ」
なぞと、どこまで本気なのか他人を喰ったのか判らない喋り方をする。こういった曖昧な揶揄するような物言いで人を煙に巻くところは、良人泰雅に似ているような気もする―。そして、それが少しも嫌みではなく、どこか憎めないところまでも。
「それじゃあ、私はこれで」
夢五郎があっさりと背を向けようとする。
泉水は慌てて声をかけた。
「待って。幾ら何でも、商売物をただで貰うわけにはゆかないわ。お代を払わせてちょうだい」
夢五郎がつと立ち止まり、振り返った。
「なに、良いんだよ。姐さんみたいな別嬪と話ができて、私も嬉しかったんだから。これは掛け値なしの本気の言葉だよ」
夢五郎は片手を高々と上げ、ひらひらと振りながら、ゆっくりと歩き去ってゆく。
直にその上背のある後ろ姿は群衆に呑まれて、見えなくなる。泉水は茫然としてその場に佇んだ。それこそ、まるで夢を見ているかのような一瞬だった。だが、断じて夢などではない。泉水の手のひらに残された、この小さな木札が何より、先刻の男が実在の人物であったことを物語っている。
泉水は手の上の札を改めて見つめる。藤の樹の下で寄り添い合う家族の姿が描かれていた。親子なのか、若い両親と幼い女の子がそこにいた。咲き誇る藤の花と微笑み合うひと組の親子。
その絵を見た時、咄嗟に、これは泰雅と自分、それにいずれ近い中に生まれてくるであろう我が子を暗示するのかとも考えた。もし、それが真ならば、いかほど嬉しいことだろう。
泰雅と婚礼を挙げてから一年と三月(みつき)。泉水の懐妊を待ち侘びる家臣たちの期待の眼は、時に泉水を重く押し潰しそうになるほどの圧迫感を与える。ひとたび嫁したからには、世継となるべき男子を産むことこそが妻の務めであり、責任である。それは泉水もよく自覚していた。
それに、何より、泉水自身が泰雅の子を一日も早く授かりたいと心から願っているのだ。
「おっ、姐さんがあんまり可愛いんで、つい見惚れちまってたみたいだねえ」
なぞと、どこまで本気なのか他人を喰ったのか判らない喋り方をする。こういった曖昧な揶揄するような物言いで人を煙に巻くところは、良人泰雅に似ているような気もする―。そして、それが少しも嫌みではなく、どこか憎めないところまでも。
「それじゃあ、私はこれで」
夢五郎があっさりと背を向けようとする。
泉水は慌てて声をかけた。
「待って。幾ら何でも、商売物をただで貰うわけにはゆかないわ。お代を払わせてちょうだい」
夢五郎がつと立ち止まり、振り返った。
「なに、良いんだよ。姐さんみたいな別嬪と話ができて、私も嬉しかったんだから。これは掛け値なしの本気の言葉だよ」
夢五郎は片手を高々と上げ、ひらひらと振りながら、ゆっくりと歩き去ってゆく。
直にその上背のある後ろ姿は群衆に呑まれて、見えなくなる。泉水は茫然としてその場に佇んだ。それこそ、まるで夢を見ているかのような一瞬だった。だが、断じて夢などではない。泉水の手のひらに残された、この小さな木札が何より、先刻の男が実在の人物であったことを物語っている。
泉水は手の上の札を改めて見つめる。藤の樹の下で寄り添い合う家族の姿が描かれていた。親子なのか、若い両親と幼い女の子がそこにいた。咲き誇る藤の花と微笑み合うひと組の親子。
その絵を見た時、咄嗟に、これは泰雅と自分、それにいずれ近い中に生まれてくるであろう我が子を暗示するのかとも考えた。もし、それが真ならば、いかほど嬉しいことだろう。
泰雅と婚礼を挙げてから一年と三月(みつき)。泉水の懐妊を待ち侘びる家臣たちの期待の眼は、時に泉水を重く押し潰しそうになるほどの圧迫感を与える。ひとたび嫁したからには、世継となるべき男子を産むことこそが妻の務めであり、責任である。それは泉水もよく自覚していた。
それに、何より、泉水自身が泰雅の子を一日も早く授かりたいと心から願っているのだ。
