
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第14章 夢を売る男
そう、この子は、この泣いている女の子こそが泉水の夢の中に夜毎現れた子どもだった。夢の中で女の子はけして顔を上げず、ただ泣いているだけであった。ゆえに、その子の顔を見たわけではない。ないが、雰囲気、年恰好、更に身に纏う着物などには確かに見憶えがある。まさしく、あの夢の中で見続け、今や現実に見たにも劣らないほど鮮烈な記憶と化したものばかりだ。
間違いない、この子は、あの夢の中の子どもだ。泉水はそう確信した。
これより少し後。
泉水は随明寺の門前にある小さな茶店にいた。むろん、先刻、町人町で声をかけた女の子も一緒である。やはり、女の子は一人であの人通りの多い往来を歩いていたという。
泉水自身、あの往来で荷車に撥ねられ、記憶喪失になったという過去がある。今度からは絶対に一人で来てはいけないよと言うと、何故か、子どもはとても哀しげな眼で頷いた。
子どもは名をおつやと名乗った。歳は幾つと問うと、〝六つ〟とあどけない声で応える。
随明寺は黄檗宗の由緒ある大寺だ。京都の宇治に万福寺を開いた高僧隠元隆琦の弟子浄徳大和尚が開き、時の将軍家宗公も格別に信仰を寄せ、手厚く保護している寺院でもある。
門前の小道は昼間とてなお人通りもなく、広い境内地が賑わうのは月に一度の縁日市と年に一回の〝大祭(たいさい)〟、更に花見時分のときくらいのものだ。縁日市は開祖の浄徳大和尚の月命日に行われ、あまたの露店が出て、参詣客で溢れる。大祭はその大がかりなものであり、例年秋、あまたの僧侶が金堂で読経を捧げた後、紅白の餅を参詣客に向かって投げる。中でも〝寿〟、〝福〟、〝浄〟、〝徳〟の文字が入った餅を得た者はその一年の幸を約束されると云われている。
随明寺の山門からは長くて急な石段が伸びており、人呼んで〝息継坂〟との名がある。これは、あまりに勾配がきつくて急坂なので、女年寄りや子どもは途中で何度も休まねば、頂上まで辿り着くことはできないからだ。
泉水がおつやを連れていった茶店は、息継坂を降りきった先の、小路を挟んだ斜交いにちんまりと建っている。丁度店先から延々と続く石段や山門がはるかに見渡せる場所だ。もう六十を過ぎた腰の曲がった老婆が一人で細々と営んでいる。
間違いない、この子は、あの夢の中の子どもだ。泉水はそう確信した。
これより少し後。
泉水は随明寺の門前にある小さな茶店にいた。むろん、先刻、町人町で声をかけた女の子も一緒である。やはり、女の子は一人であの人通りの多い往来を歩いていたという。
泉水自身、あの往来で荷車に撥ねられ、記憶喪失になったという過去がある。今度からは絶対に一人で来てはいけないよと言うと、何故か、子どもはとても哀しげな眼で頷いた。
子どもは名をおつやと名乗った。歳は幾つと問うと、〝六つ〟とあどけない声で応える。
随明寺は黄檗宗の由緒ある大寺だ。京都の宇治に万福寺を開いた高僧隠元隆琦の弟子浄徳大和尚が開き、時の将軍家宗公も格別に信仰を寄せ、手厚く保護している寺院でもある。
門前の小道は昼間とてなお人通りもなく、広い境内地が賑わうのは月に一度の縁日市と年に一回の〝大祭(たいさい)〟、更に花見時分のときくらいのものだ。縁日市は開祖の浄徳大和尚の月命日に行われ、あまたの露店が出て、参詣客で溢れる。大祭はその大がかりなものであり、例年秋、あまたの僧侶が金堂で読経を捧げた後、紅白の餅を参詣客に向かって投げる。中でも〝寿〟、〝福〟、〝浄〟、〝徳〟の文字が入った餅を得た者はその一年の幸を約束されると云われている。
随明寺の山門からは長くて急な石段が伸びており、人呼んで〝息継坂〟との名がある。これは、あまりに勾配がきつくて急坂なので、女年寄りや子どもは途中で何度も休まねば、頂上まで辿り着くことはできないからだ。
泉水がおつやを連れていった茶店は、息継坂を降りきった先の、小路を挟んだ斜交いにちんまりと建っている。丁度店先から延々と続く石段や山門がはるかに見渡せる場所だ。もう六十を過ぎた腰の曲がった老婆が一人で細々と営んでいる。
