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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第15章 真(まこと)

 明日は、そのおさんが教えてくれた、おもんという女を訪ねることにしていた。おもんは、以前にそこの縄暖簾に奉公していた仲居で、おはるとも親しかったという。おもんにも、やはりおつやと同じ歳の倅がいるので、余計に身の苦労が他人事とは思えなかったのだろう、と、おさんは語った。おさんは現在、店で知り合った客と所帯を持ち、落ち着いた暮らしをしているらしい。
「私はおはるさんと一緒に働いていたわけじゃないし、あの人がうちの店を辞めたのは、私が勤め始めるひと月も前のことだからね。私だって、おはるさんとは一度だって逢ったことはない。おもんさんから、話を聞いたくらいのものなんだよ。申し訳ないけれど、本当にそれくらいのことしか知らないのさ」
 話の最後に、泉水は控え目に問うてみた。
「あの、そういったことは、お店に勤める仲居さんがお客と良い仲になることはよくあるんでしょうか」
 紅くなりながら訊ねた泉水を見て、おさんは笑った。
「あんた、うちの店が見かけどおりの飲み屋だけじゃないってことくらいは、端から知ってるんだろう? うちの店の旦那は因業な親父で金儲けには眼がないからね。もっとも、表向きは飲み屋や料理屋の看板を上げて、裏で女中に客を取らせてるような店なんて、この江戸にはごまんとあるよ。身体を売って生きるのは生半可なことじゃない。その中でやっと掴んだ幸せを物にしたからって、誰にとやかく言われる道理はないさ。私たちは、あんたのような世間知らずのお嬢さんには所詮、想像もできないような、薄汚れた世界で生きてるんだ」
 それまで穏やかに話していたおさんは、そのときだけ素っ気なく言い、泉水を蔑むような眼で見た。その眼の奥にかすかに憎悪の焔が燃えていたように見えたのは、泉水の気のせいだったろうか。
 そのときの、おさんの人の変わったような冷淡で突き放すような物言いを思い出し、泉水は暗澹とした気持になった。
 二人は、おさんの住まいを出てきたばかりのところであった。丁度、これから再び店に出るというおさんは一旦家に戻ってきていたらしい。忙しそうで、長屋の前でほんの少し立ち話をしただけではあったのだが、おはるが親しくしていたというおもんの居所を聞けたのは大きな収穫であった。

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