胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第15章 真(まこと)
だが。果たして、おはるに逢ったことが良かったのか、どうか。泉水は今も少し後悔している。
おはるは、おもんの住む長屋からもほど近い甚平店と呼ばれる裏店に暮らしていた。江戸のどこにでもあるような、粗末な棟割り長屋である。まさか、このような近くにおはるが暮らしているとは想像だにしていなかった。
おはるの家は木戸口を入ってすぐのところにあった。表でおとないを告げた泉水の前で、腰高障子が開いた。
―どちらさま?
顔を覗かせた女は二十三、四にはなっていただろう。美人ではあるが、どこか淋しげな風情の漂う女であった。この女がおはるに違いないと、泉水は咄嗟に悟った。眼許や口許がおつやに生き写しだったからだ。
女の顔には明らかに訝しげな表情が現れていた。警戒心も露わに、敵意さえほの見せる相手に、泉水は何と切り出して良いものか躊躇った。
刹那、おつやの泣き顔が瞼に蘇り、腹を決めた。おつやは、この女を今も母と思い、無心に慕っているのだ。
泉水が口を開こうとしたまさにその時、女の背で甲高い赤子の泣き声が響いた。泉水はハッと我に返り、苛酷な事実に今更ながらに直面した。
そう、先におもんを訪ねた時、泉水は彼女からすべてを聞いていたのである。おはるに今は新しい亭主と生まれたばかりの子どもまでいること―。それは、母親をひたすら恋い慕うおつやにとっては、あまりに酷い現実であった。
二年前、家を出たおはるには、その時、男がいたのだ。おもんと同様、勤める縄暖簾の客と深間になっていたのである。相手の男は研ぎ屋を生業(なりわい)としていた。当時、二十一だったおはるより一つ下で、男ぶりも良く、その店でも女たちからモテたという。悪い人間ではなかったけれど、どこか冷たい感じのする利己的な男で、度量はあまり大きそうには見えなかった―と、人の好さげなおもんですら、その男辰平のことは、あまり良くは言わなかった。
そんな男であれば、おはるがなかなか身の上について語れなかったことにも納得はゆく。
おはるは、おもんの住む長屋からもほど近い甚平店と呼ばれる裏店に暮らしていた。江戸のどこにでもあるような、粗末な棟割り長屋である。まさか、このような近くにおはるが暮らしているとは想像だにしていなかった。
おはるの家は木戸口を入ってすぐのところにあった。表でおとないを告げた泉水の前で、腰高障子が開いた。
―どちらさま?
顔を覗かせた女は二十三、四にはなっていただろう。美人ではあるが、どこか淋しげな風情の漂う女であった。この女がおはるに違いないと、泉水は咄嗟に悟った。眼許や口許がおつやに生き写しだったからだ。
女の顔には明らかに訝しげな表情が現れていた。警戒心も露わに、敵意さえほの見せる相手に、泉水は何と切り出して良いものか躊躇った。
刹那、おつやの泣き顔が瞼に蘇り、腹を決めた。おつやは、この女を今も母と思い、無心に慕っているのだ。
泉水が口を開こうとしたまさにその時、女の背で甲高い赤子の泣き声が響いた。泉水はハッと我に返り、苛酷な事実に今更ながらに直面した。
そう、先におもんを訪ねた時、泉水は彼女からすべてを聞いていたのである。おはるに今は新しい亭主と生まれたばかりの子どもまでいること―。それは、母親をひたすら恋い慕うおつやにとっては、あまりに酷い現実であった。
二年前、家を出たおはるには、その時、男がいたのだ。おもんと同様、勤める縄暖簾の客と深間になっていたのである。相手の男は研ぎ屋を生業(なりわい)としていた。当時、二十一だったおはるより一つ下で、男ぶりも良く、その店でも女たちからモテたという。悪い人間ではなかったけれど、どこか冷たい感じのする利己的な男で、度量はあまり大きそうには見えなかった―と、人の好さげなおもんですら、その男辰平のことは、あまり良くは言わなかった。
そんな男であれば、おはるがなかなか身の上について語れなかったことにも納得はゆく。