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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第15章 真(まこと)

 おはるは辰平に夢中だった。所帯を持とうと言われ、有頂天になったものの、最後まで亡くなった亭主との間に娘がいることも、養わねばならぬ姑がいることも話せなかったのだ。そんな中で、おはるは、やがて辰平の子を身ごもる。おはるは、さんざん悩み抜いた挙げ句、娘と義母を捨てた。
 冷淡で、おはるには思いやりのかけらさえ与えてはくれなかった姑ではあったが、亡くなった良人の母であった。姑と決別することには、迷いはなかった。しかし、流石に四つになったばかりの幼い娘をも置いて出てゆくのには葛藤があった。
 だが、おはるは、結局、娘よりもこれからの幸せを選んだ。もしかしたら、これが最後の機会かも知れなかった。今度こそ、惚れた男と幸せになりたい。その一心で、娘の寝顔に後ろ髪を引かれる想いで、早朝、こっそりと家を出た。それが、おつやとの別離になった。
 泉水がおもんから聞かされた話は、大体、そのような内容であった。おもんとおはるは仲が良く、互いの身の上話もよくしていた。おはるは、おもんにだけはすべてを話し、辰平と生きるために、娘を捨てることまでを打ち明けていた。
 女が背に括りつけた赤子は、少し神経質すぎるほどの泣き声をしきりに上げている。
 赤子なりに、その場の緊迫した状況を察しているのか。
―あなたは、おつやちゃんのおっかさんのおはるさんですね? おつやちゃんがあなたを探しています。どうか一度で良いから、おつやちゃんに逢ってあげてくれませんか。
 泉水が頭を垂れると、おはるは強ばった顔で一方的にまくしたてた。
―私は確かにおはるといいますが、私におつやなんていう娘なんぞいませんよ。私の産んだ子は、この子だけですから。
 おはるは、そう言うと、よしよしと背中の泣き喚く赤子を揺すり上げた。
―そんな馬鹿な。おつやちゃんは、あなたのお腹を痛めた可愛い我が子じゃありませんか。何で、見え透いた嘘をつくんですか?
 泉水が幾ら繰り返しても、おはるは認めようとはしない。泉水は、ついに叫んだ。

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