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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第15章 真(まこと)

 よくよく考えてみれば、それは、あまりにも身勝手な言い分ではある。四つの娘を置き去りにして、自分は男と手に手を取って一緒になって、娘には金輪際逢わない、死んだと伝えて欲しいなぞとは、よく言えたものだ。
 が、おはるにとっては、心を鬼にして幼い娘を捨ててまで選んだ道だ。すべてを捨てて家を出たその時、おはるは二度と後戻りできない修羅の橋を渡った。たとえ、これから先、どんなことがあったしても、その幸せを守り抜こうとするのは当然なのかもしれない。
 おはるの話をどこまでおつやに伝えるべきか。泉水は悩んでいた。いっそのこと、おはるが言ったように、おはるは死んだとでも伝えた方が良いのだろうかとも思う。おはるの言葉は、わずか六歳のおつやにそのまま伝えるには、あまりに酷すぎた。
 たとえ、おはるにとっては自分が幸せになるためだったのだとしても、母親に見捨てられたおつやは一体そのことをどう感じ、受け止めるだろう。
 考えあぐねて、小さな溜息を零す。
 やりきれない想いに耐えかね、無意識の中に足許の小石を拾い上げ、川面に向かって投げていた。屈み込んだ拍子に、懐から何かが落ち、地面に当たる音がした。何だろうと訝しみ、急いで拾ってみる。ほのかな月明かりに照らしてみると、それは、小さな木札であった。数日前、夢五郎と名乗る夢売りから貰った夢札である。
 この数日間というもの、おつやの母親探しに追われていて、すっかり夢札のことを忘れていた。もう一度、改めて夢札を眺めてみる。
 紫のたっぷりとした花房をつけた藤の樹の下で、いかにも幸せそうに寄り添い合う両親と子ども。この絵は、そも何を語ろうとしていたのか―。今は幸せだと言い切るおはるの現在か、はたまた、おはるの最初の亭主簔吉が亡くなる以前の、まだ幸せに暮らしていたおはる・おつや母子の姿か。
 今となっては、応えは永遠の謎だ。
 夕風がひんやりとしてきた。ふと我に返ると、周囲を取り巻く闇はすっかり濃くなっている。茜色に染まっていた空は、いつしか、すっかり夜の色に塗り替えられていた。黒々した桜の樹の影が川面に映り、更に濃い闇を作り出している。
 樹齢すら定かではない大樹が闇の中に溶け込み、まるで影法師のようにそそり立っている。その上に、きっちりと半分に折ったような形の月が浮かんでいた。

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