胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第2章 《戸惑う心》
貌が迫ってくる。泉水は思わず片手を突っ張って、男の顔を押しのけていた。
「放して」
渾身の力で男の身体から自分を引き離すと、男が口の端を歪めた。
あのひとは、こんな皮肉げな笑い方をしただろうか。泉水は混乱した。必死で記憶を手繰り寄せても、想い出の中で微笑むあのひとは優しげに微笑んでいるだけだ。
「どうしたのだ、しばらく逢わぬ間に俺のことを忘れてしまったとでもいうのか?」
泉水は夢中で首を振った。
「違う、あなたは、あの男(ひと)じゃない。私のよく知るあのひとは、あなたみたいな男じゃありません」
下卑た視線で泉水を品定めするように無遠慮に見つめてくる男、この嫌らしげな眼はひと月前、秋月家の息子が泉水に向けていたのと同質のものだ。己れの欲望を満たそうとしか考えてはおらぬ飢えた獣の眼だ。
「俺が怖いのか?」
男はなおも泉水に詰め寄り、泉水は後ろへ退こうとした弾みに打ちかけの裾を踏んで転んだ。
「怖がらないでくれ。俺はそなたに逢えて、嬉しいのだ。あれからあの場所に幾度か赴いたが、結局逢えずじまいだったから、もう逢えないと諦めていた。それがこんなところで逢えるとは」
男が熱に浮かされたように喋り続ける。
泉水はその隙に、立ち上がり身を翻そうとした。何故かは判らないが、まるで別人のようなこの男が怖くてならなかった。
だが、男の方は何とかして逃れようとする泉水に腹を立てたらしい。逃げる泉水の打ち掛けの裾を咄嗟に掴み、自分の方に引き戻した。
「良い加減にしろッ、そちは俺の申すことを聞いておるのか!?」
あまりの剣幕に、泉水は身をすくませた。
まるで猟師に追い詰められた野兎のようにひたすら怯え、この男から逃れることだけしか頭になかった、
「止めて、お願いだから、放して」
泉水は怯えを宿した眼で男を見上げた。
「俺はこの屋敷の主だ。そなたはこの屋敷内に仕える女中なのであろう? この屋敷内にあるものはすべて俺のもの。それは仕える者とて同じことなのだぞ。俺がそなたを欲しいと望めば、そなたは俺の意には逆らえぬ」
泉水は絶望的な想いで男を見た。
「放して」
渾身の力で男の身体から自分を引き離すと、男が口の端を歪めた。
あのひとは、こんな皮肉げな笑い方をしただろうか。泉水は混乱した。必死で記憶を手繰り寄せても、想い出の中で微笑むあのひとは優しげに微笑んでいるだけだ。
「どうしたのだ、しばらく逢わぬ間に俺のことを忘れてしまったとでもいうのか?」
泉水は夢中で首を振った。
「違う、あなたは、あの男(ひと)じゃない。私のよく知るあのひとは、あなたみたいな男じゃありません」
下卑た視線で泉水を品定めするように無遠慮に見つめてくる男、この嫌らしげな眼はひと月前、秋月家の息子が泉水に向けていたのと同質のものだ。己れの欲望を満たそうとしか考えてはおらぬ飢えた獣の眼だ。
「俺が怖いのか?」
男はなおも泉水に詰め寄り、泉水は後ろへ退こうとした弾みに打ちかけの裾を踏んで転んだ。
「怖がらないでくれ。俺はそなたに逢えて、嬉しいのだ。あれからあの場所に幾度か赴いたが、結局逢えずじまいだったから、もう逢えないと諦めていた。それがこんなところで逢えるとは」
男が熱に浮かされたように喋り続ける。
泉水はその隙に、立ち上がり身を翻そうとした。何故かは判らないが、まるで別人のようなこの男が怖くてならなかった。
だが、男の方は何とかして逃れようとする泉水に腹を立てたらしい。逃げる泉水の打ち掛けの裾を咄嗟に掴み、自分の方に引き戻した。
「良い加減にしろッ、そちは俺の申すことを聞いておるのか!?」
あまりの剣幕に、泉水は身をすくませた。
まるで猟師に追い詰められた野兎のようにひたすら怯え、この男から逃れることだけしか頭になかった、
「止めて、お願いだから、放して」
泉水は怯えを宿した眼で男を見上げた。
「俺はこの屋敷の主だ。そなたはこの屋敷内に仕える女中なのであろう? この屋敷内にあるものはすべて俺のもの。それは仕える者とて同じことなのだぞ。俺がそなたを欲しいと望めば、そなたは俺の意には逆らえぬ」
泉水は絶望的な想いで男を見た。