テキストサイズ

胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第16章 嵐

「それにしても、殿にこれだけの怪我を負わせるというのは、相手は相当の手練れにございますね」
 泉水は気になっていることを告げた。
 泉水自身、榊原家に嫁ぐ前は町の道場に通って、師範代を務めていたこともある遣い手だ。剣の道なら多少は心得があった。泰雅もまた一刀流の遣い手であると聞いている。
「うむ。確かに、なかなかの遣い手であったな。もし万が悪ければ、落命していたやもしれぬ。それほどの遣い手であった。あの剣の使い方には憶えがある」
「―それは、以前、その者と立ち合われたことがあるということにございましょうか」
「いや、俺がその者と直接に刃を交えたわけではない。ないが、あの剣の使い方は、直心陰流、尾張藩にはあの剣を使う者は多いと聞いている」
「―尾張藩に遣い手が多い剣」
 泉水は呟くと、うつむいた。
「殿、殿のお生命を狙うた者は、もしや尾張藩主徳川光利さま配下の者ではございませぬか」
 その言葉に、泰雅が眉をひそめた。
「泉水、滅多なことを申すものではない。尾張さまは徳川御三家の筆頭、将軍家に次ぐ高貴なる御身の方におわされるぞ。それに、俺は尾張さまとは多少の面識はある。あの方はお母上に似て気性の烈しいお方ではあるが、断じてそのような卑怯な真似をなさる方ではない」
「申し訳ござりませぬ。殿の御身を心配するあまり、言葉が過ぎました」
 泉水は素直に謝ったものの、泰雅が尾張公と知り合いだったことに、軽い衝撃を受けていた。
 泰雅は泉水に今回の事件のあらましを話して聞かせた。泰雅が将軍不慮の報を受け取り、急遽登城したのは今日の明け方のことであった。将軍はどうやら卒中で倒れられたらしい。昨夜は数日ぶりに奥泊まりをなさり、若い側室と一夜を過ごされた。明け方近くになって、伽を務めた側室が蒼白な顔で不寝番に訴えたのが発端となった。大奥では将軍が正室、側室を問わず大奥で夜を過ごす際、必ず次の間に寝ずの番がつくことになっている。これは本来側室が将軍に閨で頼み事をするのを防ぐために儲けられたしきたりだった。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ