胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第16章 嵐
―あの剣は直心陰流、確か今の尾張藩藩主光利公ご自身も相当の遣い手であられるとお聞きしましたが。
―その影響があってか、今、尾張藩では直心陰流が奨励され、若い藩士たちの間でも流行っておるそうにございます。ご城下にも道場がたくさん建ち始めたとか。
別の家臣が応じる。が、泰雅はその話をすぐに止めさせ、そのことを固く口止めした。
―滅多なことを申すな。
―さりながら、殿のお生命をもしや尾張さまが狙っているのだとしましたら、いかがなされまする。
―なにゆえ、俺の生命を尾張さまが狙わねばならぬ。
問いかけると、若い家臣は唇を噛んだ。
―上さまが何故、俺を気に入って下さっておるのかは判らぬ。されど、上さまが俺を将軍になぞとお考えになるはずもなく、そのような噂はあくまでも興味本位の根も葉もなきものだ。そのようなつまらぬ噂に我らまでが振り回されて、いかが致す? そちらが俺を気遣うてくれるのは嬉しいが、心配のあまり、ありもせぬことを口に致すのは感心できぬぞ。
泰雅はそう言い聞かせ、若い家臣をなだめるように軽く肩を叩いた。
家宗公は十数人の側室を持ち、美童を愛でる趣味まであると囁かれている。類稀な美貌を持つ泰雅をお気に召しているのも、寵童趣味が高じたのだという穿った見方をする者までいた。だが、そんな下劣な噂は所詮、根も葉もないものだし、そのような事実が存在するはずもない。泰雅自身、そのような噂を知らぬわけではなかったけれど、端から問題にしていなかった。
すぐに医者が来て、泰雅の手当をしたが、幸いにも急所は外れ、しかも傷は存外に浅かった。それでも完治するのに半月はかかるだろうとの診立てである。泉水の許に知らせがもたらされたのは、丁度その頃であった。
また、家宗公の容態は相変わらずで、将軍は懇々と眠り続けたままであった。
「殿、私は今まで殿の妻でありながら、何も存じませんでした。次の将軍さまをめぐっての争いなぞ、正直、どこか別の世界のことだと思うておったのです。まさか、殿がそのためにお生命を狙われることになると、事態がそこまで切迫しているのだとは想像もしておりませんでした」
泉水は悔しげに言った。
―その影響があってか、今、尾張藩では直心陰流が奨励され、若い藩士たちの間でも流行っておるそうにございます。ご城下にも道場がたくさん建ち始めたとか。
別の家臣が応じる。が、泰雅はその話をすぐに止めさせ、そのことを固く口止めした。
―滅多なことを申すな。
―さりながら、殿のお生命をもしや尾張さまが狙っているのだとしましたら、いかがなされまする。
―なにゆえ、俺の生命を尾張さまが狙わねばならぬ。
問いかけると、若い家臣は唇を噛んだ。
―上さまが何故、俺を気に入って下さっておるのかは判らぬ。されど、上さまが俺を将軍になぞとお考えになるはずもなく、そのような噂はあくまでも興味本位の根も葉もなきものだ。そのようなつまらぬ噂に我らまでが振り回されて、いかが致す? そちらが俺を気遣うてくれるのは嬉しいが、心配のあまり、ありもせぬことを口に致すのは感心できぬぞ。
泰雅はそう言い聞かせ、若い家臣をなだめるように軽く肩を叩いた。
家宗公は十数人の側室を持ち、美童を愛でる趣味まであると囁かれている。類稀な美貌を持つ泰雅をお気に召しているのも、寵童趣味が高じたのだという穿った見方をする者までいた。だが、そんな下劣な噂は所詮、根も葉もないものだし、そのような事実が存在するはずもない。泰雅自身、そのような噂を知らぬわけではなかったけれど、端から問題にしていなかった。
すぐに医者が来て、泰雅の手当をしたが、幸いにも急所は外れ、しかも傷は存外に浅かった。それでも完治するのに半月はかかるだろうとの診立てである。泉水の許に知らせがもたらされたのは、丁度その頃であった。
また、家宗公の容態は相変わらずで、将軍は懇々と眠り続けたままであった。
「殿、私は今まで殿の妻でありながら、何も存じませんでした。次の将軍さまをめぐっての争いなぞ、正直、どこか別の世界のことだと思うておったのです。まさか、殿がそのためにお生命を狙われることになると、事態がそこまで切迫しているのだとは想像もしておりませんでした」
泉水は悔しげに言った。