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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第17章 予期せぬ客人

《巻の弐―予期せぬ客人―》

 その二日後の朝である。
 泰雅は再度、江戸城に上がった。むろん、将軍家宗公お見舞いのためである。家宗公の具合は依然として変わらず、発作を起こしてからというもの、一度も目覚めることはなく眠り続けていた。侍医団は昼夜を問わず、その病室に詰めており、容態は予断を許さぬ状態である。幕府はいまだに将軍不例を公表はせず、それを知るのはごく一部の限られた者たちのみであった。
 というのも、将軍危篤の報が天下万民に与える影響は大きい。殊に家宗公に正式な世継も定まってはおらぬ今、この機に乗じて謀反や一揆が勃発する危険性もある。確かに迂闊に公表できるものではなかった。
 老中たちは京都からわざわざ名医と謳われる奥井(おくい)道(どう)安(あん)を呼び寄せ、将軍の治療に当たらせた。奥井道安は四十二、長年、長崎で最新の阿蘭陀(オランダ)医術を学び、帰京して以後は町医者として市井の人々のために尽くしてきた。知る人ぞ知る優秀な外科医である。老中からの使者に最初、道安は良い返事をしなかったため、幕府の威光をちらつかせ脅したところ、道安は淡々とした表情で言ったという。
―わしが江戸にゆくのは何も相手が公方さまゆえではない。わしにとっては患者の身分なぞ、どうでも良きことなのだ。たとえ相手が地獄の閻魔であろうが、病であると聞けば、地獄の底まで診察に出かけゆく。わしは、そういう主義でな、されば、公方さまであろうとなかろうと、病の方がおられるとあらば、江戸へも参ろう。さりながら、その病人がわしの手に負えるかどうかは判らぬぞ。医者は神でも仏でもないからな、あくまでも病人が自ら健康になろうとするのを脇から手助けするだけよ。
 使者に伴われて江戸入りした道安は早速、登城し、将軍の診察に当たった。しばらく丁寧に診察していた道安は控えの間に下がると、難しい顔で老中に告げた。
―正直申し上げて、ご本復は難しうございます。ここひと月ほどが山となりましょう。その間にお目覚めになられぬ場合、そのままお亡くなりになられるということも考えられます。また、万に一つ、お生命を長らえても、以前のようにご公務に復帰なさるのは、まず無理にございます。
 あまりにも衝撃的な発言に、老中たちは顔を見合わせ、控えの間はしんと静まり返った。

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