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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第17章 予期せぬ客人

―皆さまは榊原泰雅さまをご存知でございましょうか。
―存じ上げておりますとも。あの女狂いの若造でございましょう。
―全く、女と見れば相手構わず押し倒すと専らの評判でございましたな。軟弱な見かけ倒しの若造かと思えば、存外に切れ者だという評判もありますが、さて、いかがなものでしょうか。確か、昨年、勘定奉行槙野どのの娘を娶ったとか。どうも最近は、ご乱行は潔く止めて、その奥方と仲睦まじうやっておるように聞いております。
―あの若造が女狂いを止め、夢中になったというほどゆえ、さぞかし妖艶な美女にござりましょう。若い者はよろしいな、身共も是非あやかりたいものでござる。
―井坂どの、このような場で不謹慎ではないか。
 たしなめられ、井坂(いさか)綱(つな)里(さと)は肩をすくめた。
―これは失礼仕った。
 阿倍は皆の話が止んだ後、おもむろに一同を見回した。
―その榊原泰雅どのこそが上さまの紛れもなきご子息でいらせられます。
―馬鹿な、榊原どののご生母は確かに上さまの姪ではあるが、お父上は榊原家の先代泰久どのではないか。何を血迷うたことを仰せになられる。
―皆々さま、これより私めが申し上ぐることはこの場限りの話にて、次の公方さまが正式に決まるまではけして他言はご無用に願いたい。
 壮年の阿倍定親はこの時、老中首座について十年、気力、体力共に充実しており、まさにその態度も威風堂々としていた。
 一同はその存在感に圧倒されるように、固唾を呑んで阿倍を凝視した。
 そして、阿部がその場で話した泰雅に関する事実は、あまりにも衝撃的なものであった。
 まさか自分について、老中たちの間でそのような取り沙汰がされているとは想像だにせず、泰雅はその日も予定どおり将軍を見舞っていた。
 同じ頃、泉水は思わぬ来客を迎えていた。
 泰雅が出かけて半刻ほど経った時、時橋が予期せぬ訪問者の名を告げてきた。
「いかが致しましょうか」
 あろうことか、当主泰雅の留守中に榊原邸を訪問したのは、尾張藩主徳川光利その人であった。
「―さて、どうしたものであろうかの」
 泉水が考え込むと、時橋は控え目に進言する。

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