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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第17章 予期せぬ客人

 それは、時橋から聞いた光利の母昭英院が光利を次の将軍にと画策しているという噂にも起因するものだった。光利こそが次の将軍に最も相応しい立場にある。光利に近しい者たちにとって、家宗公お気に入りの泰雅は邪魔者にしかならない。そのため、尾張家の者が泰雅を亡き者にせんがため刺客を差し向けたと考えるのは勘ぐり過ぎだろうか。
「それは、どういうことにございましょうか」
 この男は虫も殺さぬような優しげな顔をして、怖ろしいことを平然と言ってのける。底知れぬ怖ろしさがあった。
「家臣どもが勝手に致したことと言い訳して、罪を逃れる気は毛頭ござらぬが、我を思う忠義心がいささか先走りすぎたものと存ずる。どうか許してやって頂きたい」
 流石に、光利は母昭英院の名は出さなかった。この短いやりとりだけでは、昭英院が今回の事件に関与しているのかどうかまでは判らず、また確かめようもない。
「あの、一つだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
 泉水が訊ねると、光利は淡く微笑した。
 こんな眩しい笑顔を向けられたら、きっと大抵の女たちは即座に参ってしまうに違いない。が、泰雅に惚れている泉水にとっては、単に魅力的な男だという風にしか見えず、特別な意味合いは持たない。
「何なりと。私で応えられることなら」
「尾張さまと我が良人はお知り合いだとお聞き致しております」
 面識があるといっても、どの程度のものかは判らない。
 光利はまた視線を庭に戻した。
 一見けだるげにも見えるその身のこなしが、女には色気があるように見えるのだろうか。泉水がそんなことを考えていると、光利が庭を眺めたまま言った。
「もう何年前のことになるかな。榊原どのと初めて親しく話をしたのも丁度このような季節でござった」
 光利は心底懐かしげな口調で語った。
 光利の話は泉水にも興味深いものだった。何より、泰雅の話を聞けることが嬉しい。まだ泉水と知り合う前の泰雅、泉水の知り得ぬ泰雅を知ることができた。
 当時、光利もまだ藩主になる前であり、尾張家の世継にすぎなかった。世継であった光利は江戸の藩邸に起居しており、江戸城にもしばしば登城する機会があった。泰雅とは城中で何度か顔を合わせることがあったが、互いに会釈してすれ違う程度であった。

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