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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第17章 予期せぬ客人

「上さまはおん歳六十二におなりあそばされるが、何ともはや、娘どころか孫のような年若い側女と同衾中にお倒れになったというではないか。もし、私が将軍になれば、望むがままに女を召し上げることが叶うのであれば、将軍になっても良い。その暁には、まず、奥方、あなたを真っ先に呼び寄せたいものだな」
 艶然とした微笑を浮かべて、さらりと言うこの男は一体、何なのか。だが、その眼だけは冷え冷えとした光を宿していて、この尾張藩主徳川光利が口先だけの軽薄な男ではないことは判る。見かけや種類は違っても、この男もまた泰雅と同様、浮ついた外見の下に怜悧な叡智と鋭い牙を隠し持っているのかもしれない。
「それに、奥方。これだけは言っておくが、もし仮に私が将軍位を望むとしても、泰雅どのを襲撃し、あまつさえ闇討ちにしようなどとはせぬ。青臭いことを申すようだが、真正面から正々堂々と勝負に挑む」
 真摯な眼には、一点の曇りもない。
 その瞳は、光利の人柄をよく表していた。御三家筆頭の当主の地位にありながら、自らの罪を潔く認め、きちんと筋を通して謝るところは謝る。とことん色っぽい外見とは似合わない(?)男らしさを持っている光利の気性を好ましく思った。
「判りました。そのお言葉、しかと承ります」
 泉水が頷くと、光利がふと呟いた。
「榊原どのも私と同じ類の人間であろう。それゆえ、あの男もまた将軍の位なぞに何の魅力も感じてはおらぬことは判る。世俗の欲―、いわゆる立身出世や栄耀栄華にはとんと興味も関心もない。だが、いつの世にも己れのみが利を貪りたい輩はごまんといる。そのような奴らに、榊原どのにまつわる秘密が利用できる恰好の材料と思われても致し方はなかろう」
「尾張さまは今、我が良人にまつわる秘密と仰せになられましたが、何かご存じでいらっしゃるのでございますか?」
 泉水は問い返さずにはおられなかった。
 泰雅の秘密―、到底聞き捨てにはできぬ言葉だ。確かに泰雅には夫婦となって一年以上経った今もなお、掴みどころのないところがあった。かつては稀代の好き者との名前を欲しいままにし、数多くの女と浮き名を流し、〝今光源氏〟とさえ囁かれた男だ。女と見れば片っ端から口説き、色事にしか関心を示さず、毎日を面白おかしく過ごすことばかりが頭にあるような青年だった。

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