胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第18章 秘密
「のう、泉水どの。そなたは、わらわがかつて千代田のお城で暮らしておったことを存じておるか」
唐突に話をふられ、泉水は息を呑んだ。
「はい、その話ならば存じ上げておりまする。確か上さまのご養女となられ、江戸城大奥でお暮らしになっていたと」
景容院の生母恭姫(やすひめ)は先老中水野大膳の妻であり、その恭姫こそが将軍家宗公の同母妹である。この妹を家宗公は深く愛し、大切にしていた。家宗公にはあまたの弟妹がいたが、母を同じくする妹は、この恭姫だけであった。
やがて恭姫は当時、将来を嘱望されていた水野大膳に嫁ぎ、一女を儲けた。その娘こそが景容院である。恭姫は元々健康ではなかった。将軍家の公子や姫君にありがちの虚弱体質で、出産が更にその寿命を縮めたものか、景容院を産んで床に伏しがちになり、やがて三歳の娘を残して逝った。
若くして儚くなった妹を家宗公は憐れんだ。せめて妹の忘れ形見の姫を手許に引き取り、慈しみたい、その成長を見守りたい―、そう思し召され、当時、通(みち)姫(ひめ)と呼ばれた姪が五歳になったばかりの春、江戸城に養女として引き取った。景容院は以後、五歳から榊原泰久に嫁ぐまでの十年間を将軍家の姫として大奥で過ごした。
家宗公の通姫への鍾愛は深まる一方であった。それは傍目には叔父が姪を慈しむ、いわば父親が娘に対するようなものに見えたが、家宗公の中では最初は娘のように思っていた通姫への感情が微妙に変化していった年月でもあった。
「泉水どのは金魚を飼うたことはあるか」
また唐突に話題が変わる。だが、それは泉水に問いかける形ではあっても、端から応えを期待しているようには思えなかった。
むしろ、景容院が自分自身に問いかけているような口ぶりでさえあった。
「つい昨日のことのように憶えておる。大奥で上さまがご休息を取らるるお部屋にも大きなギヤマンの金魚鉢があっての。何でもたいそう珍しい品種のものだとか申されて、上さまはその金魚を宝物のように愛でられていた。紅瑪瑙のような金魚が一匹、大きな鉢の中を所在なげに行ったり来たりしておった」
短い沈黙が落ちる。
唐突に話をふられ、泉水は息を呑んだ。
「はい、その話ならば存じ上げておりまする。確か上さまのご養女となられ、江戸城大奥でお暮らしになっていたと」
景容院の生母恭姫(やすひめ)は先老中水野大膳の妻であり、その恭姫こそが将軍家宗公の同母妹である。この妹を家宗公は深く愛し、大切にしていた。家宗公にはあまたの弟妹がいたが、母を同じくする妹は、この恭姫だけであった。
やがて恭姫は当時、将来を嘱望されていた水野大膳に嫁ぎ、一女を儲けた。その娘こそが景容院である。恭姫は元々健康ではなかった。将軍家の公子や姫君にありがちの虚弱体質で、出産が更にその寿命を縮めたものか、景容院を産んで床に伏しがちになり、やがて三歳の娘を残して逝った。
若くして儚くなった妹を家宗公は憐れんだ。せめて妹の忘れ形見の姫を手許に引き取り、慈しみたい、その成長を見守りたい―、そう思し召され、当時、通(みち)姫(ひめ)と呼ばれた姪が五歳になったばかりの春、江戸城に養女として引き取った。景容院は以後、五歳から榊原泰久に嫁ぐまでの十年間を将軍家の姫として大奥で過ごした。
家宗公の通姫への鍾愛は深まる一方であった。それは傍目には叔父が姪を慈しむ、いわば父親が娘に対するようなものに見えたが、家宗公の中では最初は娘のように思っていた通姫への感情が微妙に変化していった年月でもあった。
「泉水どのは金魚を飼うたことはあるか」
また唐突に話題が変わる。だが、それは泉水に問いかける形ではあっても、端から応えを期待しているようには思えなかった。
むしろ、景容院が自分自身に問いかけているような口ぶりでさえあった。
「つい昨日のことのように憶えておる。大奥で上さまがご休息を取らるるお部屋にも大きなギヤマンの金魚鉢があっての。何でもたいそう珍しい品種のものだとか申されて、上さまはその金魚を宝物のように愛でられていた。紅瑪瑙のような金魚が一匹、大きな鉢の中を所在なげに行ったり来たりしておった」
短い沈黙が落ちる。