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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第18章 秘密

 景容院は乾いた唇を舐めた。無意識の仕草なのだろう。
「泉水どの、わらわは、金魚鉢の中の金魚であったのじゃ。外の世界が何たるかを知らず、将軍家の姫として十年の年月を江戸城で過ごした。何も世間のことを知らなかったわらわは、あまりに稚なすぎたのやもしれぬ。父とも兄とも慕う上さまが仰せのことならば、それが何でも正しいのだと思い込み、信じ込み、金魚鉢の中で生きていた」
 景容院がふと自嘲的な笑みを洩らす。
「金魚鉢という狭い世界がわらわのすべて、わらわはその中で何もかもを知ることになった。いや、知るというよりは、知らぬ中にすべてがそうなっていたのじゃ。わらわは狭い世界の中で生まれて初めての恋を知り、女になった。それが何を意味するか、そなたにも判ろう」
「まさか―」
 声が、震えた。背後の時橋も声を失っている。
「そなたの考えておるとおりよ。泰雅どのの真の父は榊原泰久さまではない。―現将軍家宗公、公方さまじゃ。わらわは神仏に欺く大罪を犯した。幾ら何も知らぬ無垢な小娘であったからとて、それですべてが許されるはずもない。わらわは、たとえ義理の間柄とはいえ父と呼ぶ人と恋に落ち、身ごもった」
 その身ごもった通姫を家宗公は御台所にとまで考えたことがあったという。家宗公は早くに正室に先立たれ、正室はいなかった。
 景容院にとって、せめてもの慰めは家宗公が真剣に通姫を愛していたという事実そのものであったろう。
 しかし、それには当の景容院が異を唱えた。
 十五歳の若い姫にも、仮にも父と娘の縁を結んだはずの二人の結婚が許されるものではないと判っていた。
 家宗公は苦慮の末、身重の通姫を託すに相応しき相手を探すことにした。そして、白羽の矢が立ったのが榊原泰久であった。泰久は歳は十七、通姫とも釣り合うし、穏やかな性質で誠実、真面目でもあった。加えて榊原氏といえば、初代家康公以来、徳川家に仕えてきた由緒ある譜代の名門だ。大大名というわけにはゆかないが、五千石取りでもあり、直参旗本としては大身である。

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