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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第18章 秘密

 そうして、通姫は将軍家の息女として榊原家に嫁いだ。その婚礼道具は家宗公が当代一流の細工師に作らせた逸品ばかりで、大変な贅を凝らしたものばかりであった。家宗公は婚礼の支度のための金に糸目はつけなかったという。泰久の妻となった七ヶ月後、通姫から月足らずで男児が生誕。それが幼名を幸千代と名乗った泰雅であった。通姫のあまりに早い出産を訝しむ者も当時はむろん存在したのだが、それには泰久と通姫が既に婚礼前から男女の仲になっており、そのために通姫が懐妊、急遽、祝言が早められ取り急ぎ行われたのだと説明された―。
 その苦しい言い訳にすべてが納得したわけでもなかったろうが、表向きに泰雅が泰久の子ではないと広言する者はいなかった。ましてや、榊原家の重臣たちは事がお家の大事、まかり間違えば主君の恥ともなるべき事柄だけに、沈黙を守り通すしかなかった。泰雅の出生の秘密は闇から闇へと葬り去られた。
「先代の―泰久公はそのことは、ご存じであられたのでございますか?」
 泉水が最後に問うと、景容院は薄く微笑った。
「泰久さまがこのことをお知りになったのは、祝言の夜のことです。お優しい泰久さまを騙し通すことはできぬと泣いて打ち明けたわらわを、あの方は笑顔で抱きしめて下された。薄々ではあったが、わらわの懐妊には気付いていたとも申されてな。お心優しき方であった」
―そなたの腹の子は、この私の子ぞ。たとえ誰がどう言おうが、そちと私の子じゃ。二人で愛し、大切に育てようぞ。
 祝言の夜、初夜の床で泰久は通姫にそう言った。心優しい泰久を通姫は次第に愛するようになり、穏やかな幸せの中に身を置くにつれ、哀しい初恋の記憶も薄れていった。
 恋がまだ何であるかさえ知らぬ中に体験した、淡い恋であった。ただ兄のように慕う男に言われるがままに身体を開き、結ばれたのだ。それが、世に言う男女の営みというものであることすら理解できていなかった。
 通姫は良人となった泰久に今度こそ、本当の恋をしたのだ。良人への愛が深まれば深まるほどに、通姫は泰久の子を一日も早く生みたいと願うようになった。しかし、他し男の子を宿した身で嫁いだ仏罰が当たったのか、通姫についに泰久の子は授からなかった。泰久もまた妻一人を愛し抜き、生涯側室は持たなかったため、結局、二人の間に生まれたのは一粒種の幸千代だけとなった。

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