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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第18章 秘密

 泰雅には、何の罪もない。むしろ、無知で世間知らずの姫君と義理の娘に手を付けた将軍との間の子として生を受けたばかりに、哀しい運命を辿ることになってしまった。泰雅こそがいちばんの犠牲者だったのだともいえる。
 何故、景容院がもっと前向きに生きようとしなかったのか。泉水にはそれが残念でならなかった。少なくとも泰久は泰雅を我が子として認めようとしていた。ならば、泰久が言ったように、二人で泰雅を我が子として慈しみ育ててゆけば良かったのだ。
 泰雅をひたすら滅びの子、呪われた子として疎んじ、遠ざけようとした。そのことが結局は景容院自身をも不幸に導いたのだと何故、判らないのだろう? 泰久という良き伴侶に恵まれた景容院には、幸せになろうと思えば幸せになれる道は幾らでもあったはず。それを、己の罪を我が子に着せ、我が子を憎むことで、自らその幸せを手放した。
 憎しみからは歓びや幸せは生まれない。
 我が腹を痛めた子を憎み始めたその瞬間から、景容院の辿る運命は決まった。
 そのことに、どうして気付かなかったのか。
「景容院さま、それでも、殿は―泰雅さまは景容院さまをお憎しみになられてはおられぬと存じます。殿は今でも景容院さまをただ一人のお母上として慕っておられましょう」
 泉水には、泰雅の気持ちが判るような気がした。親に疎まれた子ほど、裏腹に親を恋い慕う想いが募るものだ。愛されぬ子ほど、愛されたがる。この世の哀しい理だった。
 泉水は哀しい想いで、景容院の別邸を辞した。泰雅の出生の秘密を知った衝撃よりも、むしろ、景容院が泰雅を憎んでいた―、そのために十二歳の泰雅の許を離れ、別邸に移り住んだ、その事実の方が泉水を打ちのめした。
「殿―」
 泉水は榊原の屋敷に向かう帰途、駕籠に揺られながら、一人涙を流した。
 信じられなかった。親が我が子を憎む。そんなことがこの世にあるのだろうか。
 それとも、親も人間だから、我が子を憎むことがあるのか。それを理解できない泉水は、まだまだ人の心の機微が何たるかも知らない、世間知らずの甘い小娘なのか。
 今はただ、泰雅に逢いたかった。逢って、どうするというわけでもなかったけれど、ひとめ顔を見たい。顔を見れば、少しは安心できるような気がした。ばらばらになった心と思考が一つにまとまるような気がして。

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