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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第18章 秘密

 所詮、まだ人生も政においても経験の浅い泰雅が叶う相手ではなかった。
 針を含んだように鋭い視線にもたじろがず、定親は泰雅をじいっと見つめた。その眼は底知れぬ湖のように不気味に静まり返っている。その凪いだ様子がかえって、この男の底知れなさを窺わせる。
「今日は是非、二人だけでお話致したいことがございましてな。ああでも申し上げねば、榊原どのは話に応じては下さらぬであろうと思うたのです。ご無礼の段はこのとおり、ご容赦願いたい」
 そう言って頭を垂れられれば、年若い泰雅は何も言い返せない。
「何しろ、榊原どのには、それがしは嫌われておるようにござりますので」
 と、この科白にはいささか皮肉が込められているようであった。
 確かに、泰雅はこの老獪で経験豊かな首席老中が大の苦手であった。穏やかな物腰と鷹揚な物言いの下に計算高い非情さが透けてみえるようで、いけ好かない。城中で出くわしたときには深々と辞儀をよこすが、それも何か慇懃無礼、取ってつけたような感じで嫌だった。
「されば、私と二人だけで話したいとは、そも何用にござりましょう」
 将軍家宗公の容態に目立った変化はない。突如として倒れて既に数日が経過していたが、いまだ意識の回復はなかった。医師が耳許で名を呼べば、かすかな反応らしきものが返るときもある。とはいっても、ごくわずかに瞼が震える程度のもので、よくよく気をつけて見ていなければ判らないし、それが果たして偶然なのか家宗公自らの意思で動いているのかは定かではない。
「榊原どのも既にお聞き及びかとは存じますが、上さまのご本復はどうも今一つ見込みがない状態、と医師が申しておりまする。万が一、幸運にもお生命を長らえても、以前のように執務なされることは到底不可能と」
「その話ならば、既にお聞き致しております」
 何を今更、同じ話を繰り返すのだと言わんばかりに断じた。
 が、定親は頓着せず、膝をいざり進める。
 泰雅は無意識の中に、顔をしかめてわずかに身を退いた。
「さればでござる。今、我らが至急に思案せねばならぬのは、次の公方さまのことにござります」

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