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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第18章 秘密

 景容院の別邸から戻って、泉水は一人で部屋に閉じこもっていた。時橋はこんな時、気を利かせて、泉水を心ゆくまで一人きりにしておいてくれる。そこは長年仕えてきた乳母らしい気遣いを心得ていた。
 いつしか夕刻になっていた。空は紫がかった色に染まり、東の方から夜の色に染まり始めていた。陽が落ちると、ほどなく夜がやってくる。
 日中ははや夏を思わせる陽気にもかかわらず、夕風は冷たさを含んでいる。
 いつしか、庭はすっかり夜の気配が立ち込めていた。開け放した障子戸の向こうから吹き込んでくる夜風が、泉水の髪をさらさらとなぶった。
 足許からジージーと鳴く地虫の声が這い上がってくる。ふと見上げた空に、丸い月が浮かんでいた。限りなく白に近い灰色の月が滲んだ涙にぼやける。
 景容院から聞いた話が今も泉水の脳裡に灼きついている。あんな哀しい話を聞かされた今、どうやって泰雅の顔を見れば良いのだろう。
 その時、背後の襖が音もなく開いた。
「お帰りなさいませ」
 泉水は慌てて手のひらで涙をぬぐい、手をついた。
「上さまのお加減はいかがでいらっしゃいましたか?」
 訊ねると、泰雅は低い声で言った。
「お変わりはないようだ」
 つまり、悪化はしていないが、良くもなってはいないということだろう。どこか突き放したような、気のない言いように、泉水は不不審を憶えた。いつもなら、こんな物言いはしない良人なのに。
「どうなされたのでございますか。お顔の色が悪うございます」
 気になっていたことを口にすると、泰雅が少し苛立ったように言った。
「気のせいではないのか」
「でも、お疲れなのでは―」
 なおも気遣わしげに言う泉水に、泰雅がキッとなった。
「しつこいぞ。そなたの気の回しすぎだと申しておる。それよりも、そなたこそ、どこに行っていた?」
 「え」と、泉水は意表をつかれた形になった。
「脇坂が申しておったぞ。泉水が昼間、どこぞに出かけたと」

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