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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第18章 秘密

 普段なら気にならないようなことが今夜は癇に障るようだ。やはり、将軍のお見舞いで疲れたに違いない。
 泉水はできるだけ泰雅を刺激しないように、言葉を選びながら言った。
「お義母上の―景容院さまのお住まいをお訪ね致しておりました」
「そなたが母上の?」
 一瞬、泰雅は愕きに眼を見開いたが、直に何かを振り切るように首を振った。
「母上は達者で過ごされていたか」
 一見、素っ気ない口調だった。だが、ただひと言のその中に、どれほどの泰雅の母への想いが込められているか。今なら、泉水は容易に知ることができる。
「はい、大変お元気そうでいらせられました」
「そうか」
 泰雅が顎を引く。
 と、泰雅が立ち上がった。空を振り仰ぎ、呟く。
「今宵は灰月か」
 夜陰にひっそりと溶けてゆくような、低い呟きであった。
「灰月?」
 泉水が問い返すと、泰雅が月を見上げたまま応える。
「今宵のような月をそのように呼ぶそうだ」
 藍色の絵の具を溶き流したような空に、灰色の月が掛かっている。
「珍しい呼び名にございますね。初めて耳に致しました」
「俺も子どもの頃、父上から教えられた。そうだな、あれは確か、父上がお亡くなりになられる三年ほど前だったか。こんな風に共にに並んで夜空を見上げながら、いつまでも飽きもせずに月を眺めていた。あの日の空にも、こんな風に灰色に近い、白っぽい月が浮かんでいた」
 亡き父を思い出しているのか、泰雅ははるかなまなざしを空に向けている。
 泰雅の父榊原泰久。その名を聞けば、嫌でも景容院の話が再び蘇る。
 家宗公の御子を宿しながらも嫁いできた妻を心から愛し大切にし、生まれた泰雅を我が子として大切に育てた慈悲深い人であったという。
「俺の父は素晴らしい人だった。たとえ誰が何と言おうと、俺が父と呼べるのはたった一人だ」
 無意識に吐露した言葉であったに相違ない。泉水は、何も口を挟まず、ただ黙って頷いた。

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