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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第3章 《囚われた蝶》

《参の巻―囚われた蝶―》
 だたっ広い野原を泉水は無心に歩いている。周囲は果てのない草原がひろがるだけ。
 一体どれほど歩けば、辿り着けるのか。
 泉水は焦がれるほど待ちわびていた。
 そこは真白き花々が咲き乱れる楽園。
 蒼穹に花の香りだけが満ちた天上の国。
 ふと、遠方から呼び声が聞こえてくる。
―あなたは誰、私を呼ぶのは誰なの?
 声の主を探し求めるように、伸び上がってはるか前方を見る。誰も、人影さえ見当たらない。
 突如として、泉水を取り囲む景色が一変した。まるで芝居の舞台が暗転するかのように、天と地だけの世界が一面の花畑に変わる。
 薄い花びらを幾層にも重ねた繊細な白き花が野原を埋め尽くす中に、泉水はただ一人佇んでいた。
 手前に巨きな樹が見える。樹下に立っている人影が見えた。まだ遠すぎて、その人の顔は定かではない。近づくにつれ、その待ち人の顔が次第に明確な形を取り始める。
 眼の醒めるほどの美貌に優しげな微笑を浮かべ、穏やかに見つめてくるその男こそ、泉水の待ち焦がれてやまなかったひとだ。
―お逢いしとうございました。
 泉水は走る。白い芍薬が咲き乱れる花の海の中を一心にひた走る。ふいに一匹の蝶がひらひらと眼の前をよぎる。泉水はその美しき蝶にいざなわれるように走った。蝶は戯れるように花々の間を飛び、また泉水の前に戻ってくる。美しい模様の描かれた羽をせわしなく動かしながら、泉水を導くかのごとく飛ぶ。
 と、突如として、蝶が消えた。
 いや、捕らえられたのだ。
 緑の葉を茂らせた樹の下に立つ男の手に蝶は捕らえられていた。男が蝶をひと握りすると、蝶は無惨にもグニャリと潰れた。
 男が凄惨な笑みを刻み、泉水を見据えてくる。男は自らがひねり潰した蝶を口にくわえた。なまじ美しいだけに、その姿は凄絶でさえある。
―泰雅さま、お気でも狂われましたか?
 そう叫ぼうとして、泉水は言葉を失う。
 泰雅の貌が醜く歪んでいた。
 口は耳まで避け、その大きな口で屠った蝶を喰らっている。蝶の喰らわれる耳障りな音まで聞こえてくるようで―、泉水は思わず両手で耳を塞いだ。
 違うッ、こんな悪鬼があの方であるはずがない。泉水が絶望的な気持ちに陥った時、また周囲の景色が変わった。
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