胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第18章 秘密
そのことに少し訝しさを抱きつつ、自室に籠もり、一人で書状を開いた。そして、食い入るように父からの手紙を読んだ。しばらく後、ひととおり眼を通した泰雅の眼は濡れていた。
その時、漸く父の人眼に立つなという言葉の意味が判った。自分の出生にまさか、こんな怖ろしい真相が隠されているとは想像だにしなかった。いや、あの穏やかで優しい父が真の父ではなかった、そのことが何より大きな打撃を彼に与えた。
そして、母がどうして自分にこんなにも冷たいのか。その理由も自ずと知れた。自分は母に憎まれて、当然だ。自分さえこの世に生まれてこなければ、母は苦しむことはなかったであろうから―。
すべては自分のせいだ。自分という存在そものが母を、優しかった父を苦しめ、不幸に陥れた。泰雅は絶望のどん底に落ち、我と我が身を責めた。本当は泰雅には何の罪も責任もないというのに、十五歳の彼はひたすら己れの存在を呪い、その出生の秘密を恥じた。
その日を境に、泰雅は変わった。
まず、その乱行ぶりは屋敷内の若い腰元に次々と手を付けることから始まった。
あまたの女と寝て、女狂いとまで囁かれるほどの浮き名を流してきた。だが、泰雅が見かけどおりの遊興に耽るだけの愚か者ではなく、実は切れ者だと―という噂は、いつしかひそやかに囁かれるようになっていた。
虎はどのように上手く化けたとしても、所詮、猫にはなれないのと同じで、時折見せる泰雅の素早い身のこなしや眼の鋭さは何より彼の聡明さと機知に富んだ人柄、剣の腕を物語っている。
だが、愚か者の仮面を被り続けることは、彼にとっては苦痛意外の何ものでもなかった。空しい。ただ空しさだけが胸の底に降り積もってゆく。いっときは、このまま本当に女好きの放蕩者という仮面どおりの人間になってやろうかと半ば自棄で考えたこともある。
自分がしていることが、出生の秘密を知ったための自暴自棄の末の行為なのか、それとも、父の言葉を実践しているだけで、これは見せかけ、仮の姿にすぎないのか。どちらが真の自分の姿なのか判らなくなっていった。怠惰な荒んだ日々の中で、本当の自分を幾度も見失いそうになった。
その時、漸く父の人眼に立つなという言葉の意味が判った。自分の出生にまさか、こんな怖ろしい真相が隠されているとは想像だにしなかった。いや、あの穏やかで優しい父が真の父ではなかった、そのことが何より大きな打撃を彼に与えた。
そして、母がどうして自分にこんなにも冷たいのか。その理由も自ずと知れた。自分は母に憎まれて、当然だ。自分さえこの世に生まれてこなければ、母は苦しむことはなかったであろうから―。
すべては自分のせいだ。自分という存在そものが母を、優しかった父を苦しめ、不幸に陥れた。泰雅は絶望のどん底に落ち、我と我が身を責めた。本当は泰雅には何の罪も責任もないというのに、十五歳の彼はひたすら己れの存在を呪い、その出生の秘密を恥じた。
その日を境に、泰雅は変わった。
まず、その乱行ぶりは屋敷内の若い腰元に次々と手を付けることから始まった。
あまたの女と寝て、女狂いとまで囁かれるほどの浮き名を流してきた。だが、泰雅が見かけどおりの遊興に耽るだけの愚か者ではなく、実は切れ者だと―という噂は、いつしかひそやかに囁かれるようになっていた。
虎はどのように上手く化けたとしても、所詮、猫にはなれないのと同じで、時折見せる泰雅の素早い身のこなしや眼の鋭さは何より彼の聡明さと機知に富んだ人柄、剣の腕を物語っている。
だが、愚か者の仮面を被り続けることは、彼にとっては苦痛意外の何ものでもなかった。空しい。ただ空しさだけが胸の底に降り積もってゆく。いっときは、このまま本当に女好きの放蕩者という仮面どおりの人間になってやろうかと半ば自棄で考えたこともある。
自分がしていることが、出生の秘密を知ったための自暴自棄の末の行為なのか、それとも、父の言葉を実践しているだけで、これは見せかけ、仮の姿にすぎないのか。どちらが真の自分の姿なのか判らなくなっていった。怠惰な荒んだ日々の中で、本当の自分を幾度も見失いそうになった。