胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第18章 秘密
女のやわらかな膚に溺れ、すべてを忘れようとしても、忘れることはできなかった。幾人もの女と寝ても、どれほど女の身体に溺れようとしても、いつも心の芯は醒めて、何もかもがただ空しかった。すべてに無関心で平静を装いながら、胸の内には常に憤怒を抱えていた。
将軍のお声がかりで正室を迎えたものの、妻とはろくに顔を合わせもしない日々が続いていた。家宗公に対する格別の想いや情はなかった。泰雅にとって、父は自分を慈しみ育ててくれた榊原泰久ただ一人であることに代わりはなかった。
榊原家は直参の身分であったため、幕臣として将軍に忠誠を誓うといった気持ちはあったけれど、それは極めて義務的なものにすぎない。家宗公を自分の父親だとは思えなかった。母を犯し、身ごもらせた―そして、我が子である泰雅を捨てた非情な父親として憎むこともできたはずだ。なのに、憎悪すら抱くこともない、遠い存在のひとであった。
「つまらぬ話を聞かせたな」
長い話を終え、泰雅はホウと息を吐いた。
「いいえ」
いつのまにかしゃがみ込んでしまった泰雅の傍らに、泉水が気遣うように跪く。
微笑んでいるようにさえ見える静かな表情の下で泰雅が強い感情を抑えている気配を泉水は、はっきりと感じた。
「よくお話して下さいました」
泉水は、涙をこらえて、やわらかな微笑を浮かべた。花のような微笑だった。
ここで泣くのは容易い。しかし、泰雅の気持ちを考えれば、泉水が泣くべきではないだろう。泰雅はこれまで、あまりにも苛酷な道を歩いてきた。もう十分すぎるほど苦しんだはずだ。今は共に嘆くより、これまで傷つき苦しんできた泰雅をそのまま受け止める方が良い。ただ何も言わず、微笑んで側に寄り添うことが、泰雅の心をわずかでも和ませればと思った。
泰雅は、改めて泉水を見つめた。
この女が自分を変えてくれたのだ。手を差し伸べ、地獄のような日々から救い出してくれた。泉水は泰雅にとって宝にも等しき、得難い存在であった。そう思うと、今更ながらに愛しさが込み上げてくる。
泉水に出逢うまでの苦しかった日々の記憶が再び蘇る。この女にめぐり逢うまで、自分は一体、いつまでこのような空しい日々を過ごすのかと、鬱々として過ごしていた。
将軍のお声がかりで正室を迎えたものの、妻とはろくに顔を合わせもしない日々が続いていた。家宗公に対する格別の想いや情はなかった。泰雅にとって、父は自分を慈しみ育ててくれた榊原泰久ただ一人であることに代わりはなかった。
榊原家は直参の身分であったため、幕臣として将軍に忠誠を誓うといった気持ちはあったけれど、それは極めて義務的なものにすぎない。家宗公を自分の父親だとは思えなかった。母を犯し、身ごもらせた―そして、我が子である泰雅を捨てた非情な父親として憎むこともできたはずだ。なのに、憎悪すら抱くこともない、遠い存在のひとであった。
「つまらぬ話を聞かせたな」
長い話を終え、泰雅はホウと息を吐いた。
「いいえ」
いつのまにかしゃがみ込んでしまった泰雅の傍らに、泉水が気遣うように跪く。
微笑んでいるようにさえ見える静かな表情の下で泰雅が強い感情を抑えている気配を泉水は、はっきりと感じた。
「よくお話して下さいました」
泉水は、涙をこらえて、やわらかな微笑を浮かべた。花のような微笑だった。
ここで泣くのは容易い。しかし、泰雅の気持ちを考えれば、泉水が泣くべきではないだろう。泰雅はこれまで、あまりにも苛酷な道を歩いてきた。もう十分すぎるほど苦しんだはずだ。今は共に嘆くより、これまで傷つき苦しんできた泰雅をそのまま受け止める方が良い。ただ何も言わず、微笑んで側に寄り添うことが、泰雅の心をわずかでも和ませればと思った。
泰雅は、改めて泉水を見つめた。
この女が自分を変えてくれたのだ。手を差し伸べ、地獄のような日々から救い出してくれた。泉水は泰雅にとって宝にも等しき、得難い存在であった。そう思うと、今更ながらに愛しさが込み上げてくる。
泉水に出逢うまでの苦しかった日々の記憶が再び蘇る。この女にめぐり逢うまで、自分は一体、いつまでこのような空しい日々を過ごすのかと、鬱々として過ごしていた。