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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第18章 秘密

 そんなある日、一人の少女とめぐり逢ったのだ。自分の身の危険も顧みず、他人を救うために旗本奴たちの前に飛び出していった少女を眩しく見つめた。
 まさか、その少女こそが自分の妻であるとは思いもせず、泰雅は少女に生まれて初めての恋をした。数えきれぬほどの女を抱いて、女も恋も知り尽くしたつもりになっていた彼が本気で惚れたのだ。
 泉水を知って、泰雅は漸く生まれ変わることができた。これまで自分が重ねてきた偽りの恋がどれだけ中身のない儚いものであったかを知った。愛する者と日々、平穏に寄り添って暮らす幸せ。ささやかな日常の中にこそ魂の安らぎがあるのだと―。
 刺激など求めずとも、泉水が側にいてくれるだけで、泰雅は満ち足りていた。愛する者、大切な者と共に紡ぐ穏やかな刻が得難い至福の日々なのだと実感できた。
 これまで重ねてきた女遍歴は、泰雅にとって何の意味も持たなかった。ただ、己れが現実から逃避するための言い訳、隠れ蓑にすぎなかったことを悟ったのだ。
 泰雅は女好きの放蕩者の仮面をあっさりと脱ぎ捨てた。妻の許で日々を過ごし、これまでなおざりにしていた領地の政にも改めて取り組み、執務の合間には泉水と共に庭の花を愛でたり、様々なことを語り合い、二人だけの穏やかな時間を過ごすようになった。それは、傍目にはまるで人が変わったかのような豹変ぶりであったろう。しかし、泰雅にとっては本来の自分に戻ったにすぎなかった。
 放蕩者の仮面なぞ被らなくとも、こうして目立つことなく、ひっそりと妻と二人だけで平穏に暮らしていれば良い。政治の表舞台に出ることさえなければ、父泰久の望んだように、一旗本して、榊原家の当主として生涯を終えることができるに相違ないと思った。
「殿がどこのどなたであろうと、泉水は構いませぬ。今の、そのままの泰雅さまをずっと、これからもお慕いしております」
 泉水は心を込めて、もう一度言った。
「もし俺が武士ではなく、町人であったとしても農民であったとしても、そう言ってくれたか?」
 泉水は泰雅を見上げ、微笑む。
「殿が商人であれば、私は共に物を売り、農民であれば、共に土を耕します。そうやって、ずっとずっと殿のお側にいて、生きてゆきます」

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