胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第19章 すれちがい
泉水は五千石を賜る直参旗本榊原泰雅の正室であり、去年の如月に泰雅の妻となった。五歳で母を失ったものの、勘定奉行槙野源太夫宗俊の一人娘として育った泉水は天真爛漫でお人好し、人の不幸は見過ごしにはできないといったお節介なところがある。
男装してはお忍びで江戸の町に出かけるといった一風変わった姫で、かつては〝槙野のお転婆姫〟と呼ばれていた。一方の泰雅は雅やかな貴公子然としていながら、逞しさや強さをも併せ持ち、その艶やかな夜桜のごとき美貌から〝光源氏の再来〟と讃えられていた。
もっとも、この呼称は何も称賛だけではなく、泰雅のあまりの遊び人ぶりからも来ている。数知れぬほどの女人と浮き名を流し、江戸の町へ出ては町人の娘、人妻と見境もなく口説いていた。そんな二人は時の将軍徳川家宗公のお声がかりで祝言を挙げたものの、泰雅は泉水と床を共にしようともせず、二人は打ち解け合えぬ日々が続いた。
それがある日、町中で互いを夫婦とは知らず、恋に落ちたことから、泰雅と泉水は結ばれた。良人であり妻であると知り、様々な試練をかいくぐり、二人は夫婦としての絆を深め、信頼を強く確かなものにしてきたのだ。
泰雅は泉水を得てからというもの、女遊びを一切止めた。
実は、彼には将軍家宗公のご落胤―しかも、生母がその伯父である家宗公と恋に落ち、身ごもった子であるという哀しい出生の秘密があった。その苛酷な真実をたった一人で抱え、泰雅は将軍家跡目争いに巻き込まれることを怖れ、ひたすら恋にのみ生きる愚かな遊び人のふりを通してきたのだ。
泉水がその秘密を知ったのは、つい最近、五ヵ月ほど前のことである。
―たとえ、殿のご両親さまがどこのどなたであろうと、この私の心は変わりませぬ。泉水は殿を一生お慕い申し上げておりまする。
懊悩する泰雅に、泉水は言った。もう、どこにも逃げる必要はないのだ、たとえ生まれがどうであれ、泰雅は泰雅で変わりはしないのだから、と。
その真摯な言葉は、悩み続けてきた若者の心を打った。結句、泰雅はそのひと言に救われ、自ら、浅薄なだけの遊び人の仮面を脱ぎ捨てたのだ。
男装してはお忍びで江戸の町に出かけるといった一風変わった姫で、かつては〝槙野のお転婆姫〟と呼ばれていた。一方の泰雅は雅やかな貴公子然としていながら、逞しさや強さをも併せ持ち、その艶やかな夜桜のごとき美貌から〝光源氏の再来〟と讃えられていた。
もっとも、この呼称は何も称賛だけではなく、泰雅のあまりの遊び人ぶりからも来ている。数知れぬほどの女人と浮き名を流し、江戸の町へ出ては町人の娘、人妻と見境もなく口説いていた。そんな二人は時の将軍徳川家宗公のお声がかりで祝言を挙げたものの、泰雅は泉水と床を共にしようともせず、二人は打ち解け合えぬ日々が続いた。
それがある日、町中で互いを夫婦とは知らず、恋に落ちたことから、泰雅と泉水は結ばれた。良人であり妻であると知り、様々な試練をかいくぐり、二人は夫婦としての絆を深め、信頼を強く確かなものにしてきたのだ。
泰雅は泉水を得てからというもの、女遊びを一切止めた。
実は、彼には将軍家宗公のご落胤―しかも、生母がその伯父である家宗公と恋に落ち、身ごもった子であるという哀しい出生の秘密があった。その苛酷な真実をたった一人で抱え、泰雅は将軍家跡目争いに巻き込まれることを怖れ、ひたすら恋にのみ生きる愚かな遊び人のふりを通してきたのだ。
泉水がその秘密を知ったのは、つい最近、五ヵ月ほど前のことである。
―たとえ、殿のご両親さまがどこのどなたであろうと、この私の心は変わりませぬ。泉水は殿を一生お慕い申し上げておりまする。
懊悩する泰雅に、泉水は言った。もう、どこにも逃げる必要はないのだ、たとえ生まれがどうであれ、泰雅は泰雅で変わりはしないのだから、と。
その真摯な言葉は、悩み続けてきた若者の心を打った。結句、泰雅はそのひと言に救われ、自ら、浅薄なだけの遊び人の仮面を脱ぎ捨てたのだ。