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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第21章 新しい生活

 おきくは十年という最も長い年季奉公ではあったが、色の白い涼やかな美貌とあって、たくさんの客がついて売れっ子になった。今もまだ元気でいるとすれば、あと一年も経たぬ間に長かった年季も明ける。篤次はその年季明けの時季に合わせて江戸にゆくつもりだと話している。
 年季が明けると言っても、病気になって客を取ることができなくて一日休めば、その分はまた、借金に上乗せされ、医者にかかれば、その代も更に上乗せされる。
 従って年季明けのときにその借金があれば、その分を返済するまでは女郎勤めを止めることはできない。篤次は、妹のその残った借金を自分が支払うつもりでいた。
 篤次は妹がいる見世の名を知らないが、何としてでも見つけてみせるという。この十年間、おきくからの消息は一度としてなかった。果たして無事でいるかどうかも判らないのだ、と、篤次は淋しげに言う。
 確かに、おきくの年季明けを待って、借金をきれいに返した上で身請けすることは難しいかもしれない。十年という気の遠くなるような日々、果たして、おきくが無事に過ごしてきたかどうか。
 男から男へと流れ、日々、身体を酷使する女郎奉公はそれこそ己れの身体一つが資本だ。一度病になれば、後はろくな治療も受けられず、死を待つのみだ。そういった危険が常に隣り合わせにある哀しい商売、それが女が身体を売るということなのだ。
 泉水は、篤次のためにもその必死な祈りにも似た想いが叶うことを願った。
 そのときの篤次の顔には、翳のある、複雑な表情が刻まれていた。その様子から、篤次も、妹が生きているのかさえ覚束ないことを嫌というほど自覚しているのだと判った。
 だが、と、泉水はその時、思ったものだ。大勢の男によって次々と汚されてゆく女の悲哀はもちろんのことだけれど、たった一人の男に束縛され、夜毎、慰みものにされる自分もまた、結局は彼女たちの運命と似ているのではないか。
 おきくは苛酷なさだめを生きなければならなかったが、まだしも年季明けという一つの区切りがある。しかし、泉水には、けして果てがないのだ。泰雅がその気になって離縁状を書かない限り、泉水は永久にあの男に囚われたままで、けして自由にはなれない。

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