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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第21章 新しい生活

 笑うと、片えくぼができ、何とも愛らしい。この屈託のない娘に一体、何があったのだろう。篤次はその事情を知りたいと思ったけれど、今はまだ、そっとしておいてやった方が良いと判っていた。いずれ、時がくれば、泉水の方から打ち明けてくれることもあるだろう。
 とりあえず今は、泉水が少しずつ本来の明るさを取り戻してゆけたなら、十分ではないか。ここに来たばかりの頃は袴をはき、髪を一つに束ねた男姿であった泉水だが、今は髪を島田に結い、上物ではないが、こざっぱりした女物の着物に身を包み、女らしい姿になっている。
 地味な作りがかえって泉水の本来持つ可憐さ、美しさを引き立て、娘盛りの色香が匂い立つようだ。これでは、村の若い男たちが食指を動かすのも無理はないとも思う。くろ(のら)に真剣な顔で何やら話しかけている泉水を、篤次は眩しい想いで見つめていた。

 それから数日を経た、ある日の夕刻。篤次は数日ぶりに、泉水を訪ねた。ここのところ、畑の方が忙しくて、どうにも時間が取れなかったのだ。その合間には、村長の畑の方にも手伝いに行かなければならず、心は急いても、どうにもならなかった。
 やっと、ひと段落ついたところで、駆けるようにして、やって来たというのが本音であった。
 まさにその時、泉水は銀杏の樹の下に座っていた。前方を見つめているようだが、そのまなざしは遠く、虚ろであった。泉水が見つめているのは、家の前から続いてゆく、なだらかな一本の坂道なのに、その実、その瞳は何も映してはいなかった。
 泉水のささやかな住まいは小高い丘の上にある。その頂から一本道が続いていて、村の本道につながっていた。その本道というのが、主街道の脇道から二つに分岐した小道へと続いてゆくというわけだ。
 既に暦は霜月に入っていた。日中はまだ温かい日もあるが、夕暮れ刻ともなると、身の傍を吹き抜ける風は冷たかった。
 この頃、風が次第に冷たさを増してくるようだ。
 この村の北には、緩やかな山々が連なっている。山の空気は澄んで、透明な大気に色づいた山々がくっきりと立ち上がる季節になった。
 こうして大樹の根許に座り込んでいると、頭上からはらはらと黄金(きん)色の葉が降ってくる。

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