胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第22章 散紅葉(ちるもみじ)
篤次が摘んだ実を下にいる泉水が受け取り、籠に入れる。ほどなく、泉水の抱えた籠はギンナンの実でいっぱいになった。更に篤次が集めてきた枯れ枝で火を熾し、たった今取ったばかりの実を串に刺して、炎で焙る。
直に中の実を覆っていた固い殻が弾け、何とも香ばしい匂いが漂い始めた。その弾けた殻を取り除いた実を、串ごと手に持って頬ばってゆく。ギンナンの実が大好物だという、篤次の愛犬ギンももちろん、二人の間にちょこんと座って、ギンナンをつついている。
今日は、黒猫の姿は見えない。どうしたものか、ここ十日ほどの間、くろ(のら)は帰ってこなかった。いつもなら、どんなに長く顔を見せなくとも、数日経てば帰ってくるはずなのだ。一体どこに行ったのだろう、まさか野犬に襲われて大怪我でもしたのでは、などと泉水はひそかに案じているのだった。
くろのことは案じられはしたものの、その日の黄昏刻、泉水は久しぶりに愉しいひとときを過ごした。まるで子どもの頃に戻ったかのように、我を忘れて、焼いたばかりのギンナンの実の熱さに顔をしかめながらも夢中で頬ばった。その次には、眼を白黒させてギンナンを食べている互いの顔がおかしいと、指さし合って笑い転げる。
篤次と二人で眺めた裏山の鮮やかに色づいた紅葉と共に、この心和むひとときは泉水にとって、この村での忘れられない想い出となった―。
太陽が山の端に姿を消し、周囲が夜の闇に呑み込まれる頃になって、篤次は名残を惜しむかのように幾度も振り返りながら帰っていった。この時、篤次は何故か、嫌な胸騒ぎがしてならなかった。銀杏の樹の下に立って、ずっと手を振り続ける泉水の姿がひどく頼りなく見えた。
―このまま帰りたくない。
そんな想いがよぎったが、できるはずもないことであり、また、してはならないことでもあった。
泉水は男から逃れて江戸からはるばるここまで流れてきて、今もなおその男の影に怯えて暮らしている。口には出さないけれど、泉水が時折見せる愁いに満ちた表情がすべてを物語っている。そんな女に、これ以上、男として恐怖を与え、怯えるようなことはしたくない。
直に中の実を覆っていた固い殻が弾け、何とも香ばしい匂いが漂い始めた。その弾けた殻を取り除いた実を、串ごと手に持って頬ばってゆく。ギンナンの実が大好物だという、篤次の愛犬ギンももちろん、二人の間にちょこんと座って、ギンナンをつついている。
今日は、黒猫の姿は見えない。どうしたものか、ここ十日ほどの間、くろ(のら)は帰ってこなかった。いつもなら、どんなに長く顔を見せなくとも、数日経てば帰ってくるはずなのだ。一体どこに行ったのだろう、まさか野犬に襲われて大怪我でもしたのでは、などと泉水はひそかに案じているのだった。
くろのことは案じられはしたものの、その日の黄昏刻、泉水は久しぶりに愉しいひとときを過ごした。まるで子どもの頃に戻ったかのように、我を忘れて、焼いたばかりのギンナンの実の熱さに顔をしかめながらも夢中で頬ばった。その次には、眼を白黒させてギンナンを食べている互いの顔がおかしいと、指さし合って笑い転げる。
篤次と二人で眺めた裏山の鮮やかに色づいた紅葉と共に、この心和むひとときは泉水にとって、この村での忘れられない想い出となった―。
太陽が山の端に姿を消し、周囲が夜の闇に呑み込まれる頃になって、篤次は名残を惜しむかのように幾度も振り返りながら帰っていった。この時、篤次は何故か、嫌な胸騒ぎがしてならなかった。銀杏の樹の下に立って、ずっと手を振り続ける泉水の姿がひどく頼りなく見えた。
―このまま帰りたくない。
そんな想いがよぎったが、できるはずもないことであり、また、してはならないことでもあった。
泉水は男から逃れて江戸からはるばるここまで流れてきて、今もなおその男の影に怯えて暮らしている。口には出さないけれど、泉水が時折見せる愁いに満ちた表情がすべてを物語っている。そんな女に、これ以上、男として恐怖を与え、怯えるようなことはしたくない。