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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第22章 散紅葉(ちるもみじ)

 その日は、月の冴え返る夜になった。湯殿の小さな窓から見える空は四角に切り取られていたが、銀色に輝く十六夜の月だけは、はっきりと眼にすることができた。
 泉水は小さな湯舟の中で手脚を伸ばす。そろそろ寒さが本格的になってきた。そのせいか、こうやって一日の終わりに温かな湯に浸かるひとときが一日で最も心安らげるような気がする。
 湯に浸かった泉水の膚が、ほんのりと桜色に染まって、艶めいている。泉水は、たっぷりとした湯に身を沈めて、愉しかった今日の出来事を振り返っていた。
 篤次は優しい、男気のある男だ。調子が良い、上っ面だけの男にはない飾りけのない優しさがある。篤次の純朴で穏やかな人柄に、どれだけ癒やされたかしれない。最初は兄に対するような、漸くめぐり逢った肉親に向けるような親近感を憶えていたが、最近はその気持ちも少しずつ変わってきたようだ。
 では、どこがどう違っているのかと訊かれれば、はきとは応えようがないのだけれど、肉親に対する慕わしさに似た想いの中に、ほんの少しだけ、そうではないもの―異性として意識する心が芽生え始めているように思うのだ。
 もちろん、その気持ちはまだ、ごく淡いもので、泉水自身それが男に対する恋情かとは言い切れないところがある。
 しかし、男に対して心を閉ざしかけていた泉水が篤次にだけは再び心を開くことができたのは確かであった。
 だからといって、何が変わるわけでもない。篤次といると、刻の流れがとてもゆったりとしていて、心地良く感じられる。もう少し、このままの二人で、今のままでいられたら良い、ただそれだけを願った。
 そういったことについて込み入った話もしたことはないし、何を約束したわけでもないのに、篤次であれば、もしかしたら泉水の気持ち―、好きな相手であっても、肉体の交わりを厭わずにはおれない哀しい性(さが)を少しは理解してくれるのではないか、そんな気がしてならなかった。
 そこで、泉水は少し自嘲的な笑いを洩らした。でも、もしかしたら、それは所詮、泉水の勝手に作り上げた幻影なのかもしれない。あまりに男に絶望していたがために、たまたま出逢った篤次の良いところだけを見ようとしすぎて、そんな根拠もない希望的観測を抱いているだけだったとしたら。

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