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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第22章 散紅葉(ちるもみじ)

 泰雅があらゆる陵辱の限りを尽くして、出ていったのは早朝の、まだ夜明け前のことであった。
―次は必ず江戸に連れて帰る。逃げようなどとは思うな。
 ぐったりと横たわる泉水の耳許で囁いた。
 〝また、来る〟とそっけなく言い捨てると、ひらりと馬にまたがり、朝靄の立ち込める中を走り去っていった。馬はどうやら、銀杏の樹の下に繋いでいたらしい。
 ただ一人、残された泉水はそのままの姿で転がっていた。漸く起き上がれるようになったのは夕刻近くなってからのことだった。それでも、少し動いただけで脚腰が悲鳴を上げ、身体の芯に鈍い痛みを感じた。
 昨夜の泰雅はそれほどまでに容赦がなかった。泉水はまるで魂の抜け殻のように虚ろな表情を浮かべていた。どうにか着物を着ると、やっとの想いで身体を引きずるようにして外に出た。
 篤次が姿を現したのは、その少し後のことだ。その時、泉水は銀杏の樹の根許に座っていた。
 その日の昼過ぎ、篤次の住まいを訪ねた者があった。同じ村に住む駒吉という男である。やはり百姓で、歳は二十一になり、篤次より二つ下であった。
 その駒吉が言うには、昨夜、泉水の住まいを侍らしい若い男が訪ねていたというのだった。しかも、あろうことか、その武士は泉水を手込めにしたというのである。
―怒らねえでくんな。
 駒吉はそう言って両手を合わせるふりをしてから白状した。というのも、駒吉は夕べは泉水の許に夜這いにいったのだという。村の若い者なら誰もが憧れ、眼をつけている泉水に、この男もまた、執心していた一人だった。
 どうにも恋情に耐えかねて、夜半にこっそりと忍んでいってみたところ、既に先客がいたらしい。だが、気になるのは、家の中から女の悲鳴や助けを求める声、泣き叫ぶ声が聞こえていたことだった。
 途中からは、かき消すようにその声は止んだが、その静けさがかえって駒吉には不気味に思えた。静まり返った小さな家の中で何が行われているか想像するのは難しくはなかった。
―ありゃア、どう見ても、女先生はあのお侍に手込めにされたんだろうぜ。

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