
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第3章 《囚われた蝶》
「頼むから、逃げないで欲しい」
怯えて逃げようとする泉水に、泰雅があやすような口調で言い聞かせた。
「泉水の部屋に来る前、義父(ちち)上とも色々話してきた」
「―父とあなたが話を? 今更、何をお話しになったというのですか?」
泉水は唇を噛みしめた。
これより少し前、泰雅は泉水の父、勘定奉行槇野源太夫宗俊に対面していた。
―娘が泰雅どののお許しもなく身勝手に当方に返ってきた段、父としてお詫び申し上げる。ひらにご容赦願いたい。
泰雅が日頃の無沙汰を詫び、丁重に挨拶を述べると、源太夫はまずそう切り出した。
―いえ、それは姫が悪いわけではござりませぬ。すべては、私の至らなさゆえでござる。
泰雅は真顔で首を振った。それに対し、源太夫は鷹揚に応えた。
―まあ、母親を早くに亡くして不憫に思うて甘やかして育てたせいか、随分と我が儘な娘になってしもうた。泰雅どのには、さぞ手を焼いておられることとお察しするが。
―いいえ、私がこのようなことを申し上げるのも失礼かとは存じまするが、良き娘御を妻として迎えることができたと思うておりまする。
泰雅の言葉に、源太夫は笑った。
―そのように仰せ下さる婿どのを持て、我が娘は果報者じゃな。
泰雅は息を詰めて、源太夫を見つめた。
数々の女と浮き名を流し、女好きの放蕩者の外見には似合わぬ切れ者と評判の泰雅ではあるけれど、上さまのご信頼も厚い辣腕の勘定奉行の前では単なる若造にすぎない。
しかも、泰雅は泉水の父親であり、舅に当たる。榊原家での泉水の処遇は、泉水を通じて源太夫にまで伝わっているに相違ない。
娘を蔑ろにしてきた婿に、源太夫が良い感情を抱いているとは思えなかった。現実には、泉水は泰雅や婚家である榊原家に対して不利なことは里方に知らせてはいなかっのだが―。
―ところで、あれは日々、貴殿の許では、どのように過ごしておりまするかな? 恥を申すようだが、当家におる頃は庭の樹に昇ったり、剣術の稽古を致したりと、女子よりは男のようなことばかりしており申した。嫁ぐに際しては、これまでのようなわけには参らぬとよくよく言い聞かせたれど、そのようなことで大人しうなる娘とは思えず、父として気を揉んでおる次第での。
怯えて逃げようとする泉水に、泰雅があやすような口調で言い聞かせた。
「泉水の部屋に来る前、義父(ちち)上とも色々話してきた」
「―父とあなたが話を? 今更、何をお話しになったというのですか?」
泉水は唇を噛みしめた。
これより少し前、泰雅は泉水の父、勘定奉行槇野源太夫宗俊に対面していた。
―娘が泰雅どののお許しもなく身勝手に当方に返ってきた段、父としてお詫び申し上げる。ひらにご容赦願いたい。
泰雅が日頃の無沙汰を詫び、丁重に挨拶を述べると、源太夫はまずそう切り出した。
―いえ、それは姫が悪いわけではござりませぬ。すべては、私の至らなさゆえでござる。
泰雅は真顔で首を振った。それに対し、源太夫は鷹揚に応えた。
―まあ、母親を早くに亡くして不憫に思うて甘やかして育てたせいか、随分と我が儘な娘になってしもうた。泰雅どのには、さぞ手を焼いておられることとお察しするが。
―いいえ、私がこのようなことを申し上げるのも失礼かとは存じまするが、良き娘御を妻として迎えることができたと思うておりまする。
泰雅の言葉に、源太夫は笑った。
―そのように仰せ下さる婿どのを持て、我が娘は果報者じゃな。
泰雅は息を詰めて、源太夫を見つめた。
数々の女と浮き名を流し、女好きの放蕩者の外見には似合わぬ切れ者と評判の泰雅ではあるけれど、上さまのご信頼も厚い辣腕の勘定奉行の前では単なる若造にすぎない。
しかも、泰雅は泉水の父親であり、舅に当たる。榊原家での泉水の処遇は、泉水を通じて源太夫にまで伝わっているに相違ない。
娘を蔑ろにしてきた婿に、源太夫が良い感情を抱いているとは思えなかった。現実には、泉水は泰雅や婚家である榊原家に対して不利なことは里方に知らせてはいなかっのだが―。
―ところで、あれは日々、貴殿の許では、どのように過ごしておりまするかな? 恥を申すようだが、当家におる頃は庭の樹に昇ったり、剣術の稽古を致したりと、女子よりは男のようなことばかりしており申した。嫁ぐに際しては、これまでのようなわけには参らぬとよくよく言い聞かせたれど、そのようなことで大人しうなる娘とは思えず、父として気を揉んでおる次第での。
