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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第25章 杏子の樹の傍で

なら、私もどこへなりとご一緒に参ります」
「ありがとう、時橋」
 泉水は時橋の肩にそっと額を押し当てた。泉水の身体を時橋はそっと抱きしめる。
 二人はいつまでもそのままの姿勢で立っていた。杏子の花だけが寄り添い合う主従をそっと見下ろしている。静かな早春の午後であった。

 その数日後、月照庵の桜が咲いた。そして、それを合図とするかのように、寺の周囲の山桜も一斉に花開いた。
 夢五郎に連れられてやってきた時橋は、そのまま寺の新しい住人になった。むろん、光照は子細は問わず、快く時橋を迎え入れた。
 今では泉水は時橋と二人で光照の講義を受けている。様々な雑用は時橋が代わりにこなしてくれ、泉水はかえって仕事がなくなったほどである。流石に御殿奉公が長いせいか、時橋はすぐにここでの新しい暮らしにも溶け込んだ。てきぱきと雑用を片付けるため、光照にも伊左久も重宝がられており、伊左久などとも気軽に世間話に打ち興じている。光照手ずから点てた茶を頂きながらの愉しいひとときに、時橋も加わることになった。それは、泉水が久方ぶりに味わう、心から安らげる時間であった。
 月照庵の桜が満開を迎えたある日、夢五郎がふらりとやって来た。思い出したように現れるのは、いつものことだ。
 山が春の盛りを迎えようとしている。小さな庵は薄桃色に烟る山桜に囲まれ、さながら、ほのかに紅に染まった雲海に包まれているかのごとき様相を呈している。

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