テキストサイズ

胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第25章 杏子の樹の傍で

―私も夢五郎さんに逢えなくて、淋しかったの。だから、嬉しいわ。
 ひと言素直に言えば良いのに、そのひと言がなかなか出てこない。
「どうだ、元気に育ってるか?」
 夢五郎が泉水の腹部に顔を近づける。
「あ、動いた」
 まるで夢五郎の呼びかけに呼応するかのように、腹の赤子がポンポンと勢いよく泉水の腹を蹴っていた。半月ほど前から自覚できるようになった赤子の動きは日が経つにつれ、活発になってゆく。時橋などは泉水の腹に触って赤子が動くのを確かめては、歓んでいる。
 それこそ、本当の孫の誕生を待ち侘びているようであった。いや、時橋だけでなく、光照、伊左久に至るまで皆が泉水の胎内に宿る小さな生命の成長を心待ちにしている。
 これだけ祝福され、待ち望まれて生まれてくる子は幸せに違いない。素直にそう思える。
「ホウ、それは利発な子だな。もう、腹にいる時分から私の言葉が判るのだな」
 夢五郎はそう言って悦に入っている。こちらも、まるで腹の赤子が生まれる前から親馬鹿ぶりを発揮する父親のようだ。
 この男もまた、赤子の誕生を愉しみにしている一人であることは間違いない。
 それでも、時々、不安になることがあった。
 これほどまでに待ち望まれている子を宿していても、この子が果たして本当に生まれてきて、幸せになれるのかと思ってしまうことがあるのだ。その不安はやはり、赤子の父親の存在であった。いつか子どもが成長した時、何故、自分には父親がいないのかと疑問に思ったら、どうすれば良いのだろう。
 いや、子どもがどこかで父親が榊原泰雅だと知った時、何故、泰雅と母である泉水が別れることになったのかと訊ねられたら、どう応えれば良いのか。
 考え始めたら、様々な不安がむくむくと頭をもたげてきて、叫び出しそうになる。
 我が身の選んだ道は、果たして本当にこれで良かったのか。父親のおらぬ子を生むことが、本当に生まれてくる子の幸せなのか。母親が懸命に愛情を注げば、父親のおらぬ子の淋しさを埋めることができるのか。
 泉水が考えに沈んでいると、夢五郎の声が耳を打った。
「な、姐さん、夢見(ゆめみ)鳥(どり)って、聞いたことがあるか?」
 夢五郎は庭の方に視線を投げている。その視線の先を追いかけてゆくと、一羽の蝶がひらひらと桜花(はな)と戯れていた。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ