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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第25章 杏子の樹の傍で

「まだか、まだ生まれねえのか」
 夢五郎ときたら、産室となった光照の居間の前を熊のようにうろうろとしているかと思えば、突如として立ち止まり所在なげにあらぬ方を見つめている。中から泉水の悲鳴が聞こえてくる度に、形相を変え〝どうした、何かあったのか〟と今にも部屋内に飛び込んでゆきそうな勢いであった。それを傍から伊左久が必死に押さえ込んでいるという有り様だ。
 後に伊左久はこう言って笑った。
―あのときの頼房さまといったら、到底見ていられなかったな。まるで、頼房さまが生まれてくる赤ン坊のてて親みたいだったの。
 伊左久でなくとも、他の誰が見ても、同じ勘違いをしたに違いない。それほどの狼狽えぶりであった。
 夜半に産気づき、陣痛がいっそう烈しくなってきたのは明け方近くになってからである。
 夜が更けて、月は沈み、星々も消える。まもなく、東の空が白んでくるだろうという時刻、産室から元気な赤子の泣き声が響き渡った。
「姫さま、よくお頑張りになられましたね、ご立派な若君さまですよ」
 時橋がそっと声をかけると、泉水はうっすらと微笑む。時橋は生みの苦しみに一晩中耐え抜いた泉水の乱れた髪をそっと撫でた。額に浮いた大粒の汗を手拭いで拭いてやる。
 四半刻後、産湯をつかい、絹の産着に包まれた赤子が泉水の許にやってきた。時橋が赤子を抱き、泉水の枕許に寝かせる。産褥の泉水は改めて我が子と対面し、微笑を浮かべた。
 その瞬間の泉水を、時橋はこれまで見た泉水の中で最も美しいと思った。それは、数々の辛く哀しい出来事を乗り越え、絶望の底に突き落とされ、哀しみに打ちひしがれながらも雄々しく逞しく生きてゆこうとした彼女の強さから生まれた美しさである。
 どのような陵辱を受けても、泉水の心の本来の浄らかさが損なわれることはなかったのだ。それは彼女の浄らかさと強さが咲かせた心の花であった。
 生まれた男児は黎(れい)次郎(じろう)と名付けられる。これは、母である泉水が自ら命名した名であった。〝黎〟とは、暁に生まれるという意味合いがある。あけぼののように明るく晴れ渡り、自らを、人々を照らす人となれ、という願いが込められていた。

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