
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第26章 別離
泉水はかつて直参旗本榊原泰雅の正室であった。良人を愛し、また良人からも深く愛され、幸せな日々を送っているかに見えたのだが、眼に見えない場所で不幸は少しずつ忍び寄っていた。元々潔癖なところがある泉水が良人と褥を共にすることに抵抗を憶え始めたのである。一方、泰雅は泉水にどこまでも宙着しており、床を辞することは許さなかった。
惚れていれば、寄り添い合って互いの温もりを感じるだけではいけないのか―、常に身体を求めてくる泰雅に、泉水は抵抗感を感じ、いつしか泰雅の烈しすぎる愛情が怖ろしくなってきた。
泉水が泰雅を拒めば拒むほど、泰雅は泉水を責め苛む。そんなことが続き、泉水はついに榊原の屋敷を出た。良人の眼を逃れ、江戸から離れた近在の村に隠れて住んでいたのだが、また泰雅に見つかってしまった。またしても泰雅に手込めにされた泉水はその一夜で懐妊する。
村にもいられなくなった泉水は偶然、この山の上の尼寺に辿り着いた。住職の光照は泉水をすんなりと受け容れ、泉水はここで尼僧になる修行に励んでいた。絶望から立ち直り、前向きに生きようとしていた矢先の懐妊の発覚であった。失意のあまり一度は腹の子とともに死まで覚悟した泉水であったが、夢売りの夢五郎こと藤原頼房に助けられ、子と共に生きる決意を固めた。
そして、去年の葉月の初め、泉水は無事に男児を出産し、生まれた子を黎次郎と名付けた。江戸の町で夢札を売り歩いていた不思議な男との再会、更にその夢五郎と名乗る夢売りがれきとした公卿の公達であったことにはたいそう愕いたものの、夢五郎は今もふらりと思い出したようにこの寺にやってくる。黎次郎が生まれてからは、その回数が少しだけ増えた。これまでは、ふた月に一度ほどであったのが、ひと月に数度は顔を覗かせる。
―これでは、頼房どのが黎次郎の父のようですね。
と、伊左久ばかりか光照までが言い出す始末。光照は夢五郎(頼房)の実の母であった。かつて権中納言藤原頼継の室であった光照は、二歳の我が子頼房を置いて家を出て出家の身となったのである。頼房は今でも光照を恨んでいると口では言いながら、定期的に父頼継からの寄進と称する金をわざわざこの寺まで届けにきているのだ。頼房の胸中を推し量るすべはないけれど、恨めしさや憎しみよりは、幼くして生き別れになった母への恋しさが勝って いることは明らかであった。
惚れていれば、寄り添い合って互いの温もりを感じるだけではいけないのか―、常に身体を求めてくる泰雅に、泉水は抵抗感を感じ、いつしか泰雅の烈しすぎる愛情が怖ろしくなってきた。
泉水が泰雅を拒めば拒むほど、泰雅は泉水を責め苛む。そんなことが続き、泉水はついに榊原の屋敷を出た。良人の眼を逃れ、江戸から離れた近在の村に隠れて住んでいたのだが、また泰雅に見つかってしまった。またしても泰雅に手込めにされた泉水はその一夜で懐妊する。
村にもいられなくなった泉水は偶然、この山の上の尼寺に辿り着いた。住職の光照は泉水をすんなりと受け容れ、泉水はここで尼僧になる修行に励んでいた。絶望から立ち直り、前向きに生きようとしていた矢先の懐妊の発覚であった。失意のあまり一度は腹の子とともに死まで覚悟した泉水であったが、夢売りの夢五郎こと藤原頼房に助けられ、子と共に生きる決意を固めた。
そして、去年の葉月の初め、泉水は無事に男児を出産し、生まれた子を黎次郎と名付けた。江戸の町で夢札を売り歩いていた不思議な男との再会、更にその夢五郎と名乗る夢売りがれきとした公卿の公達であったことにはたいそう愕いたものの、夢五郎は今もふらりと思い出したようにこの寺にやってくる。黎次郎が生まれてからは、その回数が少しだけ増えた。これまでは、ふた月に一度ほどであったのが、ひと月に数度は顔を覗かせる。
―これでは、頼房どのが黎次郎の父のようですね。
と、伊左久ばかりか光照までが言い出す始末。光照は夢五郎(頼房)の実の母であった。かつて権中納言藤原頼継の室であった光照は、二歳の我が子頼房を置いて家を出て出家の身となったのである。頼房は今でも光照を恨んでいると口では言いながら、定期的に父頼継からの寄進と称する金をわざわざこの寺まで届けにきているのだ。頼房の胸中を推し量るすべはないけれど、恨めしさや憎しみよりは、幼くして生き別れになった母への恋しさが勝って いることは明らかであった。
