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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第27章 黒い影

 恐らくは時橋が真実を源太夫な知らせるのをはばかったか、当の泉水が時橋に知らせることを禁じたのか。このような時、女親が健在であれば、泉水も相談できたのかもしれないが、父親では話し相手にもならなかったのだろう。
 泉水が嫁いだ後に、側室から正室に直した深雪の方は心根の優しい女だが、いかにせん、泉水とは五歳しか違わず、母というよりは姉のような存在だ。歳のさほど違わぬ継母であれば、気安く相談することもできなかったに相違ない。その深雪の方は現在、五年前に世継虎松丸をあげ、現在は第二子を懐妊中であった。泉水の気性から考えれば、今更、新しい妻子との新たな日々を送っている父に、余計な迷惑をかけまいとしたのだろう。
 泉水は幼いときから、そのような子であった。お転婆姫と呼ばれるほどやんちゃなくせに、あれでなかなか気遣いのできる優しい娘であった。
―姫、今頃、どこでどうしているのだ。
 源太夫はひと言も残さず、ゆく方を絶った娘の身を案じた。
 泰雅の要請を受け、源太夫はむろん町奉行に捜索を依頼した。奉行所の同心が岡っ引きを江戸市中の至るところに走らせ、泉水の捜索は大がかりに行われた。だが、奉行所が総力をあげての探索にもそのゆく方は杳として掴めなかった。
 その頃から、泰雅は泉水が既に江戸にはおらぬのではないかと思い始めていた。奉行所の捜索をもってしても発見できなかったのだ。泰雅は捜索の手を江戸の外にひろげた。有能な家臣を江戸の近在にまで遣わして調べさせた。そして、泉水らしい女が江戸近在の村にいるらしいことを掴んだ。
 家臣の報告を受けた泰雅は自ら馬に乗り、単身、その女を見にいった。既にその女が泉水であることは報告からも疑いようはなかったものの、この眼で見るまでは信じられなかった。泉水に情夫がいるらしい―と聞いて、到底平静ではいられなかった。ひと月ぶりに泉水を見た泰雅は嫉妬と激情に駆られ、泉水を手込めにしてしまった。そのときは、ひとたびは江戸に一人戻ったが、いずれ近い中に迎えを遣わして泉水を江戸に連れ帰るつもりでいた。

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