
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第27章 黒い影
惚れた女を抱きたいと思うのは、自分だけではないはずだ。男を受け容れられない泉水とその篤次という村の若者が果たして本当に男女の仲であったのか。落ち着いて考えれば、泉水の言い分が正しいことに気付きそうなものなのに、やはり、あの夜の自分は嫉妬に狂うあまり、どうかしていたとしか思えない。そのことがまたしても泉水を追い詰め、折角見つけた泉水を再び見失ってしまうことになった。
最早、泉水を見つけ出すことは不可能のように思われた。江戸近在の農村で偶然発見できたことは奇蹟に近かったのだ。幾ら人を使って調べさせるにしても、これ以上捜索の手をひろげることはできない。泰雅は鬱々とした気持ちで毎日を過ごしていた。あの村で泉水と一夜を過ごして江戸に帰ってきて以後―正確には泉水が再びゆく方知れずになったと知ってからは、自棄のような暮らしを続けている。
朝から晩まで奥に入り浸りで酒に溺れる荒れた暮らしぶりであった。一時は意欲的に領地の政にも打ち込み始めていたのに、また以前の放蕩三昧の日々に逆戻りの有り様である。ただ一つ違うのは、泉水を知る前は次から次へと女たちの間を渡り歩いていた男が今はただ、女を抱こうともせず、ひたすら酒に溺れるだけの日々を過ごしているという点であった。
暑い盛りにさえ、障子戸もすべて閉て切り、部屋の中の空気が熱気を孕み、ねっとりと淀んでいる。昼下がりにも拘わらず、泰雅はほんのりと酔いに眼の淵を赤く染めていた。その脇には、若い腰元が一人侍っている。二十歳そこそこの、美人ではないが、白の白い大人しげな風情の娘だ。泰雅はいかにもけだるげに脇息にり寄りかかり、空になった盃を無造作に差し出す。すると、傍らの腰元が慌てて銚子を捧げ持ち、空の盃を満たした。
そんなことをもうかれこれ一刻以上も続けている。泰雅の回りには、飲み干した銚子が数本転がっていた。
「殿、ご無礼申し上げまする」
ふいに襖越しに声がかかった。泰雅の眉がピクリと動いた。
そのただならぬ反応に、傍らの腰元が蒼白になる。腰元の怯え様は尋常ではない。泰雅の一挙手一投足にも叫び声を上げそうなほど身構えている。
「脇坂か」
気のない様子で訊ねるのに、泰雅の返事を待たずに襖が静かに開く。
最早、泉水を見つけ出すことは不可能のように思われた。江戸近在の農村で偶然発見できたことは奇蹟に近かったのだ。幾ら人を使って調べさせるにしても、これ以上捜索の手をひろげることはできない。泰雅は鬱々とした気持ちで毎日を過ごしていた。あの村で泉水と一夜を過ごして江戸に帰ってきて以後―正確には泉水が再びゆく方知れずになったと知ってからは、自棄のような暮らしを続けている。
朝から晩まで奥に入り浸りで酒に溺れる荒れた暮らしぶりであった。一時は意欲的に領地の政にも打ち込み始めていたのに、また以前の放蕩三昧の日々に逆戻りの有り様である。ただ一つ違うのは、泉水を知る前は次から次へと女たちの間を渡り歩いていた男が今はただ、女を抱こうともせず、ひたすら酒に溺れるだけの日々を過ごしているという点であった。
暑い盛りにさえ、障子戸もすべて閉て切り、部屋の中の空気が熱気を孕み、ねっとりと淀んでいる。昼下がりにも拘わらず、泰雅はほんのりと酔いに眼の淵を赤く染めていた。その脇には、若い腰元が一人侍っている。二十歳そこそこの、美人ではないが、白の白い大人しげな風情の娘だ。泰雅はいかにもけだるげに脇息にり寄りかかり、空になった盃を無造作に差し出す。すると、傍らの腰元が慌てて銚子を捧げ持ち、空の盃を満たした。
そんなことをもうかれこれ一刻以上も続けている。泰雅の回りには、飲み干した銚子が数本転がっていた。
「殿、ご無礼申し上げまする」
ふいに襖越しに声がかかった。泰雅の眉がピクリと動いた。
そのただならぬ反応に、傍らの腰元が蒼白になる。腰元の怯え様は尋常ではない。泰雅の一挙手一投足にも叫び声を上げそうなほど身構えている。
「脇坂か」
気のない様子で訊ねるのに、泰雅の返事を待たずに襖が静かに開く。
