
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第27章 黒い影
脇坂が唖然として光照を見る。
「誰が何と言おうと、子は母親の許で育つのがいちばんの幸せなのですよ。まだいとけなき赤児から母親を奪うなぞと、まあ、よくもそのような酷いことを言えるもの。そのようなこと、御仏がお許しになるはずもありませぬ」
「庵主さま。お言葉を返すようにはございますが、それがしが信じ、お仕えするのは仏ではない。それがしは榊原の殿にお仕えする身にございます。殿のお心に叶う限り添うように致すのが我ら家臣の務め。ましてや、このことは、お家の一大事にございます。余計な口出しはお控え頂きたい」
「手前、黙って聞いてりゃア、庵主さまに何という無礼な」
廊下でずっとこれも立ち聞きしていたであろう伊左久が飛び出してきた。
「伊左久さん、お止めなさい!」
尼君が叫ぶ。
「しかし、庵主さま」
脇坂を睨みつける伊左久を、光照は首を振って眼顔で止めた。
「奥方さま、それがしが申し上げたいのは、ただ一つにございます」
脇坂は伊左久には眼もくれず、泉水一人を見つめていた。
「この場で最も大切なるは、奥方さまのお気持ちではござりませぬ。ただ、若君さまのおんゆく末のみではございませぬか。榊原のお家は五千石とはいえ、畏れ多くも初代家康公の御世より脈々と続く譜代の名門、そのれきとしたお世継としてお生まれになりながら、このような山の寺で埋もれさせ給うのは若君さまにとって、果たして真にお幸せと申せましょうか」
泉水の双眸が見開かれた。
当惑と衝撃がその面をよぎる。
―榊原のお家は五千石とはいえ、畏れ多くも初代家康公の御世より脈々と続く譜代の名門、そのれきとしたお世継としてお生まれになりながら、このような山の寺で埋もれさせ給うのは若君さまにとって、果たして真にお幸せと申せましょうか。
脇坂の言葉が幾度も耳奥でこだまする。
―このような山の寺で埋もれさせ給うのは若君さまにとって、果たして真にお幸せと申せましょうか。
心が、揺れる。
「誰が何と言おうと、子は母親の許で育つのがいちばんの幸せなのですよ。まだいとけなき赤児から母親を奪うなぞと、まあ、よくもそのような酷いことを言えるもの。そのようなこと、御仏がお許しになるはずもありませぬ」
「庵主さま。お言葉を返すようにはございますが、それがしが信じ、お仕えするのは仏ではない。それがしは榊原の殿にお仕えする身にございます。殿のお心に叶う限り添うように致すのが我ら家臣の務め。ましてや、このことは、お家の一大事にございます。余計な口出しはお控え頂きたい」
「手前、黙って聞いてりゃア、庵主さまに何という無礼な」
廊下でずっとこれも立ち聞きしていたであろう伊左久が飛び出してきた。
「伊左久さん、お止めなさい!」
尼君が叫ぶ。
「しかし、庵主さま」
脇坂を睨みつける伊左久を、光照は首を振って眼顔で止めた。
「奥方さま、それがしが申し上げたいのは、ただ一つにございます」
脇坂は伊左久には眼もくれず、泉水一人を見つめていた。
「この場で最も大切なるは、奥方さまのお気持ちではござりませぬ。ただ、若君さまのおんゆく末のみではございませぬか。榊原のお家は五千石とはいえ、畏れ多くも初代家康公の御世より脈々と続く譜代の名門、そのれきとしたお世継としてお生まれになりながら、このような山の寺で埋もれさせ給うのは若君さまにとって、果たして真にお幸せと申せましょうか」
泉水の双眸が見開かれた。
当惑と衝撃がその面をよぎる。
―榊原のお家は五千石とはいえ、畏れ多くも初代家康公の御世より脈々と続く譜代の名門、そのれきとしたお世継としてお生まれになりながら、このような山の寺で埋もれさせ給うのは若君さまにとって、果たして真にお幸せと申せましょうか。
脇坂の言葉が幾度も耳奥でこだまする。
―このような山の寺で埋もれさせ給うのは若君さまにとって、果たして真にお幸せと申せましょうか。
心が、揺れる。
