
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第28章 出家
在りし日の時橋の様々な表情が蘇る。怒った顔、優しくあやしてくれたときの顔、どの表情もいつも慈しみに溢れていた。
―姫さま、また、そのようなことをなさって。この私があれほど申し上げたのに、姫さまは何をお聞きになられていらっしゃるのやら。
樹登りを見つかったときの、いつものお小言がありありと耳奥で響く。
どんなに怒って怖い顔をしているときでさえ、時橋の眼(まなこ)にはいつも泉水への愛情があった。
泉水の心に光照の声が滲みる。
「時橋はそなたを哀しませ、更に絶望へと追い込むために死んだのではありません。時橋が最後の最後まで望んでいたのは、そなたが御仏の道ひとすじに打ち込むことではないでしょうか」
―どうか、姫さま、お身体をおいといあそばされ、ご自身のお選びになられた道をまっとうなされませ。時橋は、そのことのみを念じておりまする。
時橋の遺書の一文が今更ながらに思い出された。時橋はあの手紙に記していたのだ。
自分の選んだ道をまっとうして欲しい、自分が祈るのは、ただそのことだけなのだと。
―時橋―。
泉水は懐かしさと尽きせぬ感謝の想いを込めて亡き乳母にそっと呼びかけた。時橋が生命賭けて遺した言葉をおろそかにはできぬとこの時、思った。
それは、確かに泉水が生まれ変わった瞬間であったかもしれない。蝉が殻を脱ぎ捨て、成虫になるように、泉水もまたその時、〝泉水〟という一人の女人から尼蓮照となり得たのである。真の意味で世俗の垢を落とし、俗界から御仏の道へと脚を踏み入れたときでもあった。
この日以降、泉水はいっそう仏道に精進、師光照の指導の下で一人前の尼僧となるべく修行に励んだ。
―姫さま、また、そのようなことをなさって。この私があれほど申し上げたのに、姫さまは何をお聞きになられていらっしゃるのやら。
樹登りを見つかったときの、いつものお小言がありありと耳奥で響く。
どんなに怒って怖い顔をしているときでさえ、時橋の眼(まなこ)にはいつも泉水への愛情があった。
泉水の心に光照の声が滲みる。
「時橋はそなたを哀しませ、更に絶望へと追い込むために死んだのではありません。時橋が最後の最後まで望んでいたのは、そなたが御仏の道ひとすじに打ち込むことではないでしょうか」
―どうか、姫さま、お身体をおいといあそばされ、ご自身のお選びになられた道をまっとうなされませ。時橋は、そのことのみを念じておりまする。
時橋の遺書の一文が今更ながらに思い出された。時橋はあの手紙に記していたのだ。
自分の選んだ道をまっとうして欲しい、自分が祈るのは、ただそのことだけなのだと。
―時橋―。
泉水は懐かしさと尽きせぬ感謝の想いを込めて亡き乳母にそっと呼びかけた。時橋が生命賭けて遺した言葉をおろそかにはできぬとこの時、思った。
それは、確かに泉水が生まれ変わった瞬間であったかもしれない。蝉が殻を脱ぎ捨て、成虫になるように、泉水もまたその時、〝泉水〟という一人の女人から尼蓮照となり得たのである。真の意味で世俗の垢を落とし、俗界から御仏の道へと脚を踏み入れたときでもあった。
この日以降、泉水はいっそう仏道に精進、師光照の指導の下で一人前の尼僧となるべく修行に励んだ。
